特に人生の後半を過ぎて、長生きをすればするほど、さまざまな困難が待ち受けています。
長生きとはすなわち老いながら生き続けることです。
身体は弱り、能力は低下し、外見も衰えてきます。
社会的にも経済的にも不遇になりがちで、病気の心配、介護の心配、さらには死の恐怖も迫ってきます。
そのため、最近ではうつ状態に陥る高齢者が増えており、せっかく長生きをしているのに、鬱々とした余生を送っている人が少なくありません。
実にもったいないことだと思いますが、では、その状態を改善するには、どうすればいいのでしょうか。
今回は、医師・作家の久坂部羊氏著書『人はどう悩むのか』からご紹介します。
年を取るとさまざまな機能が衰えます。
老眼では細かい文字が読みにくくなるだけでなく、動体視力や暗順応の低下が見られ、夜の運転やトンネルの出入りで車の事故の危険性が高まります。
聴力の低下では、音が聞こえにくくなるだけでなく、気配も感じにくくなり、音は聞こえるけれど、どこから聞こえるのか、あるいは会話でも何を言っているのかが聞き取れなくなったりします。
これは脳の認識力が落ちるためで、若者には普通の速さに聞こえる会話も早口に聞こえて聞き取りにくくなります。
音は聞こえているので、この機能低下に補聴器は役に立ちません。
ほかにも歯の脱落、嚥下機能の低下、平衡感覚の低下、筋力低下、性機能低下などで、硬いものが噛めないとか、誤嚥が増え、ふらついたり、つまずいたり、男性は性的不能、尿もれ、女性は骨盤底筋群の緩みで腹圧性尿失禁、子宮脱(子宮が膣から股間にはみ出る)になったりします。
さらに免疫機能の低下で病気になりやすくなり、感冒が悪化して肺炎を発症したり、呼吸機能、心機能の低下で息切れや動悸が起きたり、脳機能の低下で物忘れや勘ちがい、思考渋滞などが生じ、移動機能の低下でひきこもりがちになり、骨粗鬆症で骨折しやすくなったり、生活習慣病も悪化して、まるで「病気のデパート」と呼ばれる状態になったりします。
老化は誰にでも起こる現象ですが、個人差があるので、自分は大丈夫と思いがちです。
しかし、老化を免れる人はいないのです。
その2.社会的・経済的喪失
退職や引退で仕事をやめると、社会的な地位、および家庭での立場が失われ、収入も減るため、前もって心の準備をしておかないと、思いがけない喪失体験に苦しむことになります。
同じ時期には配偶者や友人など、親しい人との死別も重なることもあり、子どもや孫の独立による離別、些細なことから関係が悪化して疎遠になったり、施設入所や子ども世代との同居による環境の変化が思いがけないストレスになることもあります。
独り暮らしやひきこもりとなり生活の規律が緩むと、万年床、着たきりスズメ、放置台所、ゴミ屋敷などの可能性も出てくるため、健康面で不安な状況になります。
これを精神保健学では「隠遁症候群」といいます。
仕事をやめて自由になると、時間的な余裕は増えますが、経済的、体力的余裕がなくなり、せっかくの自由時間をうまく使えないようになりがちです。
その3.性格の変化
昔から年を取ると人間が丸くなるなどといわれますが、それはせいぜい70歳くらいまでです。
それ以後は体力の低下とともに忍耐力や自制心、寛容力も弱ってくるため、キレやすくなったり、すぐ弱音や愚痴を吐いたり、少しの我慢もできなくなったりします。
意欲の減退、興味の喪失、関心の低下などで活動性が落ち、逆に心配や不安が増大して、消極的、怠惰、面倒くさがりの傾向が強まります。
過去に得た知識や経験に依存するため、保守的、内向的になり、まだ起こっていないことをあれこれ心配する予期不安も高まります。
現実を受け入れて、老いに対して理性的であれば問題は起こりにくいですが、自らが弱ることで、嫉妬や猜疑心、事実否認、自己憐憫などが強まり、老人であることを盾に、わがまま、頑固、自己中心的行動が増えたりもします。
高齢になるにつれ、もともとの悪い性格がいっそう強化され、意地悪、不機嫌、神経質、弱気、身勝手、独善的、説教好き、おしゃべり、ネガティブ思考、投げやりになる高齢者も少なくありません。
少し古いデータですが、2010年の「日本老年医学会雑誌」によると、65歳以上の人の6%が本格的なうつ病に罹っており、いわゆるうつ状態を含めると、15%に達するそうです。
つまり、高齢者は6~7人にひとりがうつに陥っていることになります。
なぜこれほど多くの高齢者がうつになるのでしょう。
それは年を重ねると、いろいろ不愉快なことが増え、忍耐力も衰え、将来の希望も持ちにくくなるからです。
まず、加齢による心身の機能が衰え、身体が弱って、それまでできていたことができなくなります。
視力低下、聴力低下、味覚低下、筋力低下、反射力低下、性機能低下で、見たり聞いたり食べたりする楽しみが減り、活動性も落ちて、不自由と不如意が増えてきます。
脳の働きも衰え、記憶力低下、判断力低下、順応力低下、集中力低下、持続力低下、忍耐力低下と、低下のオンパレードで、物忘れや勘ちがいも増え、判断を誤ったり、物事が決められなかったり、応用がきかなかったり、ひとつのことが続けられなかったり、ひとつのことにこだわったり、すぐにキレたり、些細なことで苛立ったりもします。
さらには、定年退職して社会的役割が低下すると、社会的な出番がなくなり、人から注目されることもなくなります。
年寄り扱いされて不愉快になり、いたわってもらえなくてガッカリしたり、邪魔者扱いされて腹が立ったり、敬ってもらえなくて悲しくなったりもします。
加えて、病気にかかる心配、寝たきりになる不安、家族との離別によって忍び寄る孤独、そして最後は自分が死ぬことへの恐怖もあります。
いずれもイヤなことばかりですが、一般的には、誰にでも起こり得ることです。
それを自分事として置き換えると、あり得ない不幸に見舞われたように感じてしまうので、うつ状態に陥るのです。
若い世代からはネガティブに感じられるような「喪失」を、まずは、「年を取れば当然に訪れること」として受け入れ、次にそれを「解放や自由の獲得」の鍵として異なるフレームで捉え直し、さらなる解放と自由を求めて、モノ・人間関係・仕事・役割などがなくなることに積極的な態度をとってみてはいかがでしょう。
現役時代の煩わしいことを取っ払って、必要なものと好きなことしか自分の周りに置かないような“身軽な状態”をつくって、長い高齢期を楽しもうという意思を持つということです。
高齢期は喪失していくばかりではありません。
もしも趣味で創作している俳句や短歌、絵画、書道、写真などがあれば、語彙力や鑑賞力、表現力は、衰えるどころか、能力は年とともに発達し続けるのではないでしょうか。
学ぶ意欲や好奇心を持ち続けている高齢者は、多くの若い人たちの比ではありません。
また、経験に基づいた知恵や物事を洞察する力はもともと高齢者の強みでもあり、人生経験の薄い若輩がかなう部分ではありません。
高齢者の多くは、若い頃にはあったのに、年を取ると失ってしまうものは何か?ということばかりを考えているように思います。
すると「喪失」にばかり焦点が当たってしまうのは当然で、高齢者を「いろんなものを失っていくだけの弱者」としか見なくなってしまうでしょう。
高齢者自身がこの問いの答えとして、自分を弱者としか見ることができず、どんどん自信をなくしているように思います。
自由や身軽さを求める高齢者たちは「喪失」に目を向けるのではなく、「若い頃には縛られていたけれど、年を取ると解放されるものは何か?」「若い頃より、できるようになったことは何か?」「年を取らないと分からないことは?」といったことを考えているのではないでしょうか。
そうすると、解放や自由、発達する能力や自分の強みに焦点が当たってきます。
その気持ちで人生をポジティブに捉えられるようになるのではないでしょうか。
まとめ
お釈迦さんが唱えた「生老病死」の四苦のうち、「老病死」の3つが襲いかかってくるのが高齢者です。
悩みは心に生じるもので、客観的にどこかに存在するものではありません。
それならば、事前に悩みのありようを知ることで、実態のない悩みを少しは抑えることができるのではないでしょうか。
せっかく手に入れた長生きですから、「喪失」ではなく「自由」や「身軽さ」を感じながら人生を気分よくすごしたいものです。