それは、子どもに対する行きすぎた「期待」です。
そもそも、子どもは親の思い通りになるはずがありません。
このような考え方をする親は、一度、子どもを変えようとするのではなく、親自身が変わることに意識を向けなければならないかもしれません。
子どもはもともと親を喜ばせたいと思っていますし、喜ぶ姿を見るのが好きなので、特に親が期待をかけなくても、何とか喜ばせようとするものです。
しかし、一方の親は、子どもが自分の期待に応えてくれているとは思えない、と感じることが少なくないようです。
そのため親は「指示・命令・脅迫・説得」というさまざまな手段を使って子どもをコントロールしようとします。
指示 → ~したほうがよいと示す
命令 → ~しなさい
脅迫 → ~しないと△△になるよ
説得 → 皆もやっているんだから……
という構文です。
しかし、これらは、子どもにとっては苦痛以外の何ものでもないため、いくら親が投げかけてもそれらの言葉をスルーする技術を会得したり、また反抗、反発、悪態、癇癪という手段で親に対抗することもあります。
すると、親はますます、それを封じ込めようとして強く厳しい言い方になったり、怒鳴ったりすることになります。
場合によっては体罰や虐待に至るケースもあります。
これは明らかに悪循環で、負のスパイラルが高速化している状態です。
その行き着く先は「相互不信」で、親は子どもを信頼できなくなり、子どもも親を信頼しなくなります。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか?
それはもともとの問題の出発点、「親の期待値が高すぎた」ことにあると考えます。
子どもは親を喜ばせたいと思っていますが、親の期待値が高いと、子どもはそれに対していつまでも応え続けることができなくなります。
例えば、60点取っている子がいたとします。
親の期待値は80点です。
子どもが頑張って70点を取ってきたときにも、80点に届いていないから親は満足できません。
そしておそらく次のようなことを子どもに言います。
「よく頑張ったね。でももっと頑張れば80点は取れるんじゃないの」
子どもは親に喜んでもらおうと思ったのに、親は不満な状態のまま。
その後、もっと頑張って80点取ろうとする健気な子もいますが、大抵はやる気を失っていきます。
70点までよく頑張ったね。でももっと頑張れば80点までいけるよ、という構文は一見、子どもを励ましているかのように思えますが、子どもは励ましとは受け取っていません。
「80点になるまで認めない」という条件付きメッセージと受け取ってしまいます。
そして、親を喜ばせることができなかったとがっかりするのです。
親は、子どに対して期待をしないのがよいのですが、「期待をしない」という言葉は誤解を招きやすいため、「期待値を究極まで下げる」という言葉をがふさわしいかと思います。
期待値を究極まで下げるとは、どのような状態のことをいうのでしょうか。
それは、
「子どもが元気で生きているだけでありがたく、『感謝と満足』の気持ちを持って子どもに接する状態のこと」
つまり、今子どもが元気に生きているだけでラッキーという状態です。
例えば、何か想像もしないようなとんでもないアクシデントが起こり、1週間後に出会えたとしましょう。
きっと「生きていてよかった!!」と言ってお互いに涙を流しながら抱き合うと思います。
そのときに、「宿題はやったの?」とか「もっと勉強頑張らないとね!」とは決して言わないはずです。
これが期待値が究極まで下がった状態です。
決して、子どものことを諦めたとか、どうなっても構わないというネガティブな状態ではありません。
親が子どもへの期待値を下げると、子どもは親の期待を超えるよう次々と行動を起こします。
例えば、先ほどの例で言えば、60点だった子にそもそも期待をしていないと70点を取ってきたときに「え!すごいじゃない!70点も取れたの!」と言うと思います。
このように言われた子は、親を喜ばせることができて嬉しいと思って、もっと喜ばせたいと思うはずです。
これが「子どもが自ら動く仕組み」です。
孫ができると、孫には健康で元気でいてくれるだけで嬉しいと思うようになります。
すると期待値は下がっているので、ちょっとした孫の言動にでも、祖父母は驚き、喜びます。
孫はそれが嬉しくて、さらに祖父母を喜ばせようとしていきます。
しかし親だと、子どもに「あれもやらせないと、これもやらせないと」と思うことで指示や命令、時には脅迫構文も出てくるわけです。
それらが頻繁に出ていると、子どもはいつまでも親の期待に応えることができないのです。
まとめ
子どもに対する「行きすぎた期待」はトラブルの元です。
期待値を中途半端に下げても、まだその期待値を子どもが超えられない場合もあります。
いっそ究極まで一旦下げてしまい、どんな結果が出ても「よくがんばった」とねぎらいの言葉をかけるだけに留めて、「もっとできるだろう」という声掛けはぐっと飲み込みます。
すると結果として子どもが自ら動くという一見矛盾した現象が起こり始めるので、親としてはなかなか信じられないかもしれませんが、一度実行されてみてください。