子どもにしっかりした心理的な土台を構築させてくれないばかりか、子どもの足を引っ張り、人生をめちゃくちゃにする「毒親」は少なくありません。
「毒親」という言葉が一般的になって久しいですが、親に十分に愛されて育っていない子どもたちが、大人になってもかなわぬ夢を見続けていることがあります。
毒親の問題が他人からわかりづらいのは、毒親本人も、またその子どもも、いつまでたっても精神的に未熟なままであることを受け入れられないことです。
今回は、リンジー・C・ギブソン氏による、アメリカにおいて親と子のこじれた愛着をテーマとして扱った著書『親といるとなぜか苦しい:「親という呪い」から自由になる方法』から、精神的に未熟な親との関係に悩む人に、ムリのない接し方をご紹介したいと思います。



完全無欠な親は子どもの幻想にすぎない





◇ ◇ ◇




子どもにとって、親も過ちをおかす、親だって間違える、と考えるのは難しいかもしれません。




子どもが成長して思春期を迎え、成人して独立するころには、「親は全能だ」という考えも揺らぎはしてくるものの、完全になくなることはないでしょう。




多くの子どもが、次のような考えを植えつけられていると思われます。




・親ならば必ず自分の子どもに愛情を抱く

・親は信用できる

・親はいつでも子どものためにそばにいてくれる

・親にならなんでも話せる

・たとえ何があろうと親は子どもを愛し続ける

・子どもにはいつでも帰れる場所がある

・親が望むのは子どもにとっていちばんいいことだけ

・親は、子どもよりも子どものことをよくわかっている

・親の行動はすべて、子どものためを思ってのもの







しかし精神的に未熟な親の場合は、これらはまず当てはまりません。




Cさんの母親は、生真面目なものの思いやりはなく、子どもだったCさんの心身に虐待まがいの行為をすることもありました。


Cさんは長い間耐えてきましたが、成長して職場で表彰されたときも、同僚の前でけなされ、我慢の限界に達し、深く傷つき、同僚を前にいたたまれない思いをしました。




数日間、Cさんは自分がどんなに傷つけられたかを母親にわかってもらおうと考え、手紙を書き、気持ちを伝え、この件について話し合いたいと頼みました。

これを読めば母親も、自身の長年の無神経な行動を理解し、申し訳なかったと思ってくれるのでは、と思ったからです。




しかし、母親からはずっとなしのつぶてのまま時間だけが経っていきました。




心理カウンセラーに相談に行くようになってからは、親にいやな思いをさせられたり、バカにされたりしたときは、その気持ちをきちんとカウンセラーに伝えて、問題を解決しようとがんばってきました。




母親は、Cさんが差し伸べる手をつねに振り払っていたが、Cさんの子どもである3人の孫とは接したいために、なんらかの反応を示してはいました。




しかし今回は違いました。




Cさんにとっては信じられないことでしたが、一切なんの反応もなく、手紙を書いたことについて怒られさえしなかったのです。








子どもにトラウマを与える負の連鎖





◇ ◇ ◇




Cさんは、傷ついたうえにとまどってもいました。




母親は社交的で、他人に親切にも寛大にもできる人でしたが、それがうわべだけなのはわかっていたものの、その態度でCさんの気持ちがなぐさめられるわけではありませんでした。




Cさんの顔には悲しみと困惑が表れていました。




「あなたはお母さんと精神的に親密になろうとがんばってる。それは少しも間違ってないけれど、お母さんには耐えがたいことなんだと思うの。あなたが率直に、正直に気持ちをぶつけても、お母さんはそれを受け止められないの」




親との良好な関係を求めても得られず、悲しみに沈むCさんに、カウンセラーはこのように伝えました。




精神的に親密な関係を築いていくためには、精神的に成熟していなければならないが、彼女の母親の精神は、ただそのレベルに達していなかったのです。




「あなたが、お母さんの態度を責めたり、『自分がどんなに傷ついたか』といった話をするのをやめたりすれば、お母さんの機嫌は直るわよ」と、カウンセラーは言いました。




Cさんは、母親との密接な関係をまったく考えることなく、前進していく道を探さなければなりませんでした。


そのためには精神的な親密さを求めるのではなく、少し距離を置いて付き合うようにするのが最良の方法でした。




Cさんはこの説明を受け入れはしたものの、依然とまどっていました。




そして、彼女は思い出したのです。




子どものころ、母はCさんの祖母、つまり母の実母を訪ねていくのをいやがっていたし、祖母のほうでも快く思っていなかったことを。


母が訪ねるたびに、祖母に愛されていないと感じてはすすり泣き、そんな母をなぐさめるのはCさんの役割でした。




「なのに母は今、同じことを自分の娘にしているんですよ。自分があんなにつらい思いをしたんだから、自分の子どもには同じ思いをさせたくないって考えないんですか?」




そのとおりです。




母親は自分のトラウマをそっくりそのまま娘に押しつけることしかできないのです。


これは、子どものころに受けた心の痛みをずっと我慢してきた人にありがちなことなのです。






相手の行動を観察して反応しない練習をする





◇ ◇ ◇




母親からのかたくなな黙殺に耐えて数カ月、Cさんは母親の様子を観察してみることにしました。




自分の息子のサッカーの試合観戦に招いてみたのです。




試合が終わるまでなら、落ち着いていられるし、感情をコントロールできそうだと思ったからです。



彼女の望むことは、ごく普通に両親のもとを訪ね、付き合いたいということだけでした。




Cさんは淡々とした観察モードに徹しました。


楽しそうにやりとりはしたが、母親から温かな言葉をかけてもらうことは期待しませんでした。




母親はいつもどおり遅れてきたものの、Cさんは「来てくれてありがとう」と、おだやかにあいさつをしました。




母親を軽くハグし、持っていたお菓子をすすめました。


母親はそっけなく不機嫌そうでしたが、Cさんは気づかないふりをして、あえて反応しないようにしました。




観察を通してCさんは「ママは自分のことしか考えていないし、娘である私とかかわりたいという気持ちはないんだ」とようやく理解できた。




こうしてようやく母親と精神的なつながりを持ちたいという思いを手放せたのでした。


実際母親は、試合中ほとんどCさんに話しかけなかったそうです。




Cさんは心の準備ができていたので、淡々と母親を観察しました。


そして、母親が心からのコミュニケーションを避けていること、それどころか、自分が被害者のように振る舞っていることがわかりました。




後日、Cさんは、母親との関係についてこんなふうに言っています。




「やっとわかったんです、あれが母なんだ。母の個性なんだって。」




「私に問題があったわけじゃなかったんです。『母が傷ついているんだ』と思いこまなくて、本当によかったです。自分の価値観と母の行動を切り離して考えられるようになった自分が、えらいと思います」




Cさんはこれまでになく心が自由になった気がしたそうです。




厳しい母親からいつか愛してもらえると期待する、心のやさしい少女、という自分を手放し、ただの1人の大人として母親と向き合うことで、もう母親に拒まれることを気にしなくてよくなったのです。




「親がいつかは気持ちを入れ替えて、自分に関心を示し、愛してくれる」と言う幻想は、精神的に未熟な親に育てられた子どもによくみられます。


そんな親の精神的な未熟さにとらわれないようにするポイントは、「距離を置いて観察する」ことです。




精神的に自由になる第一歩は、親の精神的な未熟さを見極めることです。


そして、自分を親を喜ばせる役割として演じるのではなく、自分の心のままに行動することです。




親を変えることはできなくても、自分を態度や行動を通して自分を守ることはできます。




精神的に未熟な人と付き合う際に、感情的に反応せず、おだやかに、分別を持って大局的にみていくことができれば、心が乱されることもないでしょう。 相手の態度にいちいち反応せず、ゆったりと構え、距離を置いて観察しようという気持ちを持ちましょう。




とにかく「距離を置くこと」。




そして、相手の様子を意識して黙って心の中で言葉にしてみること。




相手を前にストレスを感じても、こうして胸の内で自分に語ることで、気持ちがおだやかになり、落ち着けるでしょう。




ふさわしい言葉で表現することで、脳のエネルギーを感情的な反応からそらすことができます。




同じことは、自分の感情的な反応をコントロールすることにも通じます。

自分の反応を胸の内で言葉にすることで、客観性が持て、冷静になれるのです。




相手にイライラさせられているなら、口実をつくって距離を置きましょう。


トイレで休憩したり、ペットと遊んだり、散歩したり、用事をすませるのでもなんでもいいので、とにかくその部屋から出て一緒にいないようにすることです。


出ていけない場合は、視線をそらし、窓の外に広がる自然をみつめるだけでもいいです。




観察することは受動的なことではありません。


とても積極的な過程と言え、精神的にからめとられないようにするための王道でもあります。




親が子どもとの境界線を尊重せず、ズカズカとプライバシーに踏み込んできたり、自分の解決できない問題を子どもに押しつけたり、子どものやることに口出ししすぎると、当然ながら真っ当なコミュニケーションも取れなければ、精神的な親密さも築けません。




だれであれ、真の自己を認めることもできないでしょう。




しかし、つねに一歩引いたところから客観的に観察できるようにすれば、ほかの人の行動で傷つけられたり、精神的にからめとられることも少なくなります。








まとめ

毒親とは、一言にまとめられるほど問題は単純ではありません。
親と子の間で行き違ってきたことは、本人同士がその本質に気づいていないし、そもそも親自身は自分がひどいことをしていると思っていないので、それを矯正することはできないにも関わらず、子どもはいつまでも「いつか親が心を入れ替えて、ありのままの自分をみてくれる」と期待し続けてしまうのです。
そういういびつな関係が、親子問題を複雑化させているのであって、親を親としてではなく、一人の人間として観察するところから始めてみて、果たして親がどういった人間なのかを知ることから始めてみるとよいかもしれません。

『親といるとなぜか苦しい:「親という呪い」から自由になる方法』

筆者プロフィール

こらっと

大阪生まれ。団体職員兼ライターです。
平日は年季の入った社会人としてまじめに勤務してます。
早いもので人生を四季に例えたら秋にかかる頃になり、経験値は高めと自負しています。
このブログがいきいき生きる処方へのきっかけになれば幸いです。

お問合せはこちらで受け付けています。
info.koratwish@gmail.com


海外からの人材受け入れ団体職員として働いてます。
遡ると学生時代のアルバイトでアパレルショップの売り子から始まり、社会人となってから広告プロダクションでコピーライターとして働きました。
結婚・出産を経て、印刷会社のグラフィック作業員として入社。
社内異動により⇒画像・写真加工部⇒営業部(営業事務)⇒社内システム管理者と、いろんな部署を渡り歩きましたが、実母の介護のためフルタイムでは身動きが取れなくなり、パート雇用として人材受け入れ団体に時短勤務転職しました。

2019年実母が亡くなり、パートを続ける理由がなくなったため物足りなさを感じる毎日でしたが、年齢の壁など一顧だにせず(笑)再びフルタイムで働きたい!と就活し続けた結果、別の人材受け入れ団体に転職しました。
責任も増えましたが、やりがいも増えました。

デスクワーク経験が長く、Office関係の小ワザや裏ワザ、社会人としての経験を共有できれば幸いです。

家族構成は夫がひとり、子どもがひとり
キジ猫のオス、サバ猫のメスの5人家族です。

趣味は、読書、語学学習、ホームページ制作などなど
好奇心が芽生えたら、とにかく行動、なんでもやってみます。

猫のフォルムがとにかく大好きで、
神が創造した生物の中で一番の傑作だと思ってます。
ちなみに「こらっと(korat)」は
タイ王国のコラット地方を起源とする
幸福と繁栄をもたらす猫の総称です。




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