2~3歳までの子どもには、体験したことを記憶できない「幼児期健忘」が見られます。
今回は、 『新版 認知科学で探る 心の成長と発達(別冊日経サイエンス259)』 から、乳幼児期の脳のしくみを知り、親子の関係をよく保つために、知っておきたいことと、脳科学的に考える大切な育児のポイントをご紹介します。
注意したり、たまに強く叱ったりしていても、子どもが同じいたずらや失敗を繰り返してしまう…
子育てをしていると、そういった場面に出くわすことがよくあります。
親としてもクドクドと怒っているのが嫌になり、うんざりしてしまうことがあると思います。
じつは、子どもが忘れることは悪いことではありません。
これは「幼児期健忘」と呼ばれるもので、この時期の脳のはたらきとしてはごく正常なことなのです。
2~3歳までの子どもは以前に体験したことを記憶することができないため、忘れたことを叱るのではなく、できたことを繰り返し褒めるように目線を替えてみることが大切です。
では、子どもが体験したことを「記憶していない」というのは一体どういうことなのか、少し掘り下げて考えてみます。
「記憶がない」という状況には、次の3つが考えられます。
1. 最初から覚えられない
2. いったん覚えたけれど、失われてしまう
3. ちゃんと残っているが、他の情報に埋もれて、思い出すことができない
幼児期健忘は、先述の「記憶がない」3つのうちどれかをご説明します。
ようやく会話が成立するくらいの年齢になった子どもに、「この間おじいちゃんちに遊びに行ったの楽しかったね」とたずねると、笑顔を見せながら「うん」と答えることがあります。
本当に覚えていたのか、どこまで覚えていたかは定かではありませんが、体験した直後に記憶として残っていないということではなく、ちゃんと思い出はできていると思われます。
幼児を対象とした学術的な研究でも、生後3カ月で1週間、4カ月で2週間ほど記憶が保持されていると報告されています。
体験した出来事を記憶するのは脳の「海馬」という、幼児期にはまだ未発達な部位ですが、まったく記憶ができないわけではないので1の可能性は低いと思われます。
2.と3.のどちらかということになりますが、、実はまだ結論が出ておらず、学者の間でも議論がかわされています。
可能性として2.が高いと考えられる根拠としては、大人になると毎日多くの体験をするので、たくさんの思い出の中に埋もれてしまって幼児期の記憶が「思い出せない」だけかもしれない3.の考えでは、認知症の方の記憶障害を参考にすると可能性は低くなるのです。
認知症のうち、とくにアルツハイマー病を原因とするケースは、エピソード記憶の形成に必要な海馬が障害されているため、日々体験する出来事が頭に入らなくなります。
そのため、記憶の倉庫にあるのは昔の思い出だけとなり、長年埋もれていた記憶を急に思い出すことがあります。
認知症が進行すると、昔の思い出話ばかりになるのはこのためで、しかもその内容は、長年手つかずだったために、とても正確です。
しかし、そのようにして昔のことを思い出せるようになった認知症の方が語るのは、どんなにさかのぼっても3~4歳以降の出来事で乳児のときの出来事は出てきません。
ということは、つまり記憶の倉庫のどこを探しても、乳児のときのエピソード記憶は残っていないということになるのではないでしょうか。
親は「叱っても懲りていないように見える」「一度失敗したのだから覚えてほしい」と、悪いことを忘れてしまう子どもに気を揉んでしまうかもしれません。
ところが「忘れる」ということは、実は一概に悪いことではないのです。
毎日生活している中では辛い出来事もたくさんあります。
小さなお子さんは、そんな嫌な出来事をすぐに忘れることができる分、一度の失敗でいつまでもくよくよしたりせず、常に前向きに、自信をもって未来へ進むことができるのではないかと考えられます。
2014年にカナダと日本の研究チームが幼若ネズミと大人のネズを使った実験を行いました。
未熟な細胞から新しい神経細胞が生み出される「神経新生」という仕組みが海馬には備わっていますが、幼若期と大人のネズミで比べると、海馬における神経新生は、明らかに幼若期の方が盛んでした。
また、記憶力を測る試験においては、幼若期のネズミは大人のネズミと同じように覚えることができたものの、記憶が保持される時間が短く、忘却が起こりやすいことが分かりました。
新しい神経細胞が次々と生み出されるために幼若期の海馬では覚えたことをすぐに忘れてしまうと考えられたため、海馬の神経新生を抑制するような処置を施すと、幼若期のネズミにおける記憶の忘却が起こりにくくなったのです。
つまり、幼若期の海馬では、神経新生が盛んな分だけ、入力された情報が固定されにくく、記憶の忘却が起こりやすいと考えてよいでしょう。
この実験は電気ショックを与えて行われたのですが、大人のネズミはいつまでも恐怖の記憶が残り、身をすくめる反応を示したのに対し、幼いネズミは電気ショックの記憶すらも早く忘れてしまいました。
嫌な刺激や怖い思いを抱えて長い間苦しむのと、早めに記憶から無くしてしまえるのなら、どちらが幸せか考えれば、忘れることも大切な作業だということがわかるでしょう。
まとめ
「幼児期健忘」のしくみのおかげで、お子さんは失敗したことを忘れてしまいますが、その代わり、上手にできたことは何度も褒めてあげることで子どもには成功体験の思い出だけがしっかり残ります。
親子で過ごした時間を繰り返し話すことで、絆も深まります。
日々の会話がお子さんの記憶を左右するということを意識して過ごしていただければ、育児の悩みも少し解消できるかもしれません。
『新版 認知科学で探る 心の成長と発達(別冊日経サイエンス259)』