は、大切な人の身体は確かに「いる」のに、でも大切に想っていた人格や心、関係性が少しずつ失われていくじりじりとした曖昧な喪失。
今回は、そのような「曖昧な喪失」の研究で名高いミネソタ大学名誉教授、ポーリン・ボス著・和田秀樹監訳・森村里美訳 『認知症の人を愛すること:曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために』 から、著者による認知症者の介護を心理的にどう受け入れるかについてご紹介します。
「曖昧な喪失」は大切な人(もの)が「いるのに、いない」という状態です。
ミネソタ大学名誉教授ポーリン・ボス博士が提唱しました。
例えば、認知症が進行すると、どんな時でも堂々としていた親が、ある時不安げにあなたの腕にしがみつくかもしれません。
あんなに優しかった夫が、突然怒鳴り散らす人になるかもしれません。
大切な人の身体は確かに「いる」のに、でも大切に想っていた人格が、心が、自分との関係が少しずつ失われていく。
そんなじりじりとした喪失が「曖昧な喪失」なのです。
また、曖昧な喪失を嘆きたくても「まだ生きているのに!」と周りから叱責されたり、「私はなんて酷い人間なんだ」と自分を責めてしまったりします。
失ったことを心のままに嘆くことを許されないのも介護者家族の苦しみにつながります。
大切な人(もの)が不在となり「曖昧な喪失」によって失われるもの
・それまであった関係性(relationship)や愛着(attachment)
・大切な人(もの)の未来とともに、自分の未来がきっとこうなるだろうという確実性
・人生を自分でコントロールできるという感覚
・将来への希望や夢
・アイデンティティや、妻としての役割・子どもとしての役割といった自分の役割
・世界が安全な場所であるという信頼感
曖昧な喪失に対しては、曖昧さを抱えたまま持ちこたえることが非常に大切です。
そのためにボス博士は次のような方法を提案しています。
1.あれもこれも思考
曖昧な喪失と向き合うときには「あれもこれも思考」が何より大切です。
例えば、曖昧な喪失に対して「いる」か「いない」か答えを出そうとすると良い結果にはなりません。
「いる」と信じて以前と同じことを強要したり、「どうせ何もわからないから」と投げやりに接したりすると、本人も家族も苦しくなっていくでしょう。
「いる」と「いない」の中間にいること、中庸であることを大事にしましょう。
大切な人だけど以前とは違うことの両方を受け止めていきます。
「あれもこれも思考」は、自分自身にも向けていきます。
「介護者」のアイデンティティに偏らず、「個人」としての自分も保ちます。
ほんのわずかでも「自分」のための時間をとり、自分をケアしましょう。
「本人がどう思うか」ではなく、「自分の心身に何が必要か」を最優先に考え、そのためにほかの家族や介護サービスを活用しましょう。
これはわがままではありません。
いつまで続くかわからない介護を持ちこたえる上で必要なことなのです。
曖昧な喪失のなかで沸き起こる感情は複雑です。
大切な人が「いる」ことに喜びを感じたかと思えば、「いない」ことを突きつけられて悲しみが芽生えます。
ボス博士は、このような複雑な感情にも「あれもこれも思考」が重要だと示します。
喜びのなかに悲しみが生じることを否定しなくていいし、「死」という明確な喪失まで待たなくても、介護の途中で喪失に気づくたびに嘆いていいのです。
2.コントロールできる習慣を見つける
曖昧さを抱えるための「あれもこれも思考」をご紹介してきましたが、それでも「曖昧さ」に耐え続けるのはつらいことです。
「次に何が起きるかわからない」「いつまで続くかわからない」という状態は私たちを心身ともに疲弊させます。
認知症の進行は誰にもコントロールできません。
「コントロールしよう」と望むほど、うまくいかないことに苛立ち、失望し、苦しくなってしまいます。
しかし、「朝は好きなコーヒーを飲む」「寝る前には読書をする」など、ちょっとしたことなら自分でコントロールできるのではないでしょうか。
コントロールできることとできないことを見極め、自分がコントロールできる習慣を守ることがストレスを和らげます。
3.「心の家族」とつながる 認知症の介護では大切な人とのつながりがゆっくりと喪失します。
失われたつながりを補う新たなつながりが不可欠です。
家族や友人とのつながりを保つことも大事ですが、曖昧な喪失の苦しみを分かち合える認知症介護者家族と出会うのも大きな支えになります。
認知症の人を介護する家族が集まる家族会や認知症の人や家族、介護や医療の専門職、地域の住民やボランティアの方が交流する空間、認知症カフェ(オレンジカフェ)などを活用しましょう。
ボス博士は、血縁はなくても精神や心の支えとなる人たちを「心の家族」と呼んでいます。
心の家族を少しでも多く見つけて心身の疲弊を軽減させましょう。
まとめ
しかし、「曖昧な喪失」は、その喪失自体があいまいで不確実な状況なので、はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験になります。
通常の喪失と異なり、終わりのない悲しみのために、悲しみから回復することも前に進むことができなくなってしまうのです。
周囲の仲間とつながり、自分自身に優しくしてあげてください。
それが困難を乗り越えて回復する力を高めます。
人生はよいことも悪いことも起きますし、物事はいつも変化し続けます。
固まらず、決めつけず、風に揺れるブランコように柔軟に生きていきましょう。
『認知症の人を愛すること 曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために』