その2日後に園が開いた会見では、急きょ運転を代わったした理事長が「不慣れだった」「余裕がなく、焦りがあった」「一つやると、別のことを忘れてしまう」などと発言しましたが、だからといって、それが置き去りの理由となるはずもなく、普通は車内に残っている子どもがいないかを最後に目視すれば気づくはずの人為的ミスへの批判が、テレビやネットなどのメディアで駆けめぐりました。 その根底には、「そんなことはありえない」と私たち自身が無意識的に当然だと信じ込んでいる人間の特性があるのだといます。
今回は、日常の私たちのあいだにも潜んでいるありえないヒューマンエラーが繰り返される人間の特性について考えてみます。
人間は目の前に危険があったとしてもそれに気づかないことがあります。
それは人間が直感的に危険を感じ取る力が足りないからです。
2022年1月、栃木県の「那須サファリパーク」で飼育員3人がトラに襲われ、うちひとりが右手首から先を失う大けがをしたのは、その典型的な事例です。
本来トラがいないはずの廊下に空腹のトラがいたため、一瞬のうちに襲われてしまいました。
そこにトラがいる「かも」しれないとは思わなかったのです。
また、人間は目の前のことに意識が向き過ぎ、忍び寄る危険に気づかないこともあります。
昨年7月、歩きスマホをしながら都内の踏切で通過列車を待っていた30歳代の女性が、電車にはねられ亡くなった事故がそれに当てはまります。
待っていた場所が、踏切の外ではなく、踏切のなか――降りた遮断機の手前だったのです。
信じられない事故ですが、危険が見えないとこのような悲惨な事故が起きてしまうということを私たちはよく理解しなければなりません。
このような事故や事件に共通する要因としては、社会から危険な場所が取り除かれ、安全な日常を過ごすようになると、直感的に危険を感じ取る力、いわゆる危険感受性は、必要なくなり低下してしまいます。
安全な職場や安全な社会を作ろうとすればするほど、危険に鈍感な人が増えてくるというジレンマがあるのです。
「安全」が社会に必要だと認めることで、ひとつひとつ作り出されてきた経緯があります。
例えば2006年8月におきた、福岡市役所の職員が飲酒運転をして、親子を乗せた車に追突し、子ども3人が海中に転落して亡くなった事故は、飲酒運転の厳罰化が進む大きな契機となりました。
他にも、2008年のシートベルト着用義務化により、着用しないといつまでたってもアラームが鳴るようになり、車から投げ出される事故が減りました。
このように安全が作り出されていくことが当たり前になってくると、どこにどれほどの危険が潜むかわからない人が増えていきます。
これは必然であって、世代は関係ありません。
社会全体で危険に鈍感な人が多くなる状態を作り出しているのです。
では、なぜ「ありえない」と思ってしまうようなエラーを人間は繰り返してしまうのでしょう。
そこには、「過信」や「楽観」などがあげられます。
それらは人間が行動する原動力として必要なものです。
逆に楽観的ではなく悲観的だと、いつまでたっても前には進めず、慎重と消極的は紙一重というところがあります。
そんななかで、危険をともなう場面において、「私なら大丈夫」と過信したり「これくらいなら平気」と楽観したりすることは、エラーを犯す大きな要因にもなってしまうので、複雑なのです。
なぜ人が「ありえない」行動をとるかについては、人間の特性を十分に理解する必要があります。
人間は作業を速く進めたいがゆえに、こうしたリスクを引き受けてしまう特性があります。
人間の行動のなかで、リスクを受け入れる際には、頭のなかで無意識的かつ瞬時に「メリット」と「デメリット」を比べています。
「メリット」は速く作業が進んだり出来高が上がったりすること、「デメリット」は逆に失敗して事故になることだったりします。
すると「メリット」が大きくなり、リスクを受け入れることが少なくありません。
ところが、いったん事故が起きると、これまで大きかった「メリット」が一転して小さくなり、「デメリット」が圧倒的に大きくなって、たとえばバスの事故をうけた直後に子どもにクラクションを鳴らす練習をさせてみたり、あるいは周りの人間も、どんどん行動を抑制するのです。
人間は、「メリット」と「デメリット」のあいだを行ったり来たりしているのです。
常に安全な行動をするためには、被災するデメリットの大きさを教えることが大切になってきます。
しかし人間は、進化する生き物なのに、なぜ、いつまでもうまく対応できないことがあるのかと言うと、それは、進化するための時間が短すぎるからです。
地球誕生から46億年が経過し、人間という生き物は進化してきました。
しかし、進化は億年単位です。
500万年前に人類の祖先である原始人が誕生したと言われていますが、現代人の身体機能や感覚機能は、その時とほとんど変わっていません。
それにも関わらず、18世紀後半に始まった産業革命により、それまで農業中心だったものが、工業化、機械化が進むなど文明社会となり、その中で人間は生きていかなければならなくなりました。
しかし、産業革命からはまだわずか数百年しかたっていないため、うまくいかないことがでてくるのは当然のことなのです。
人間が文明社会に適応するためには進化の時間が短すぎるのです。
手順を決めたら手順を守りなさいとか、信号が赤だから止まりなさいなどと、全部人間に制限をかけたかたちで社会が成り立っていますが、そこでは、人間に無理が生じているのは当然のことで、無理をすれば、エラーが起きます。そのことを理解することがとても大切なのです。
では、無理のないかたちで、「命」を誰もが最優先という当たり前の共通認識を持てるようにするための社会のあり方にするためにはどうすればよいのでしょうか。
人間は「人間のことをよくわかっている」と言いますが、実際には、人間の特性を十分に理解していないことが多いのです。
人間には、感情があり、環境変化に脆弱であるなど、さまざまなものにパフォーマンスが影響されます。
機械とは違って、個人差もあります。
エラーをなくそうと、訓練や教育、モチベーション向上や罰則などをおこない、一定の効果はあっても、やはりエラーは起きます。
対策の第一歩としては、こうしたヒューマンエラーの原因となる人間の特性や、それによって繰り返されている事例を学ぶことです。
今までは、管理者によるトップダウン型の安全対策が進められてきました。
このやり方は災害の減少につながりましたが、現在、行き詰っているところをよく目にします。
これからは、人間の特性に合わせた設計や環境、計画を作る際に、現場の声をすくい取る時代に変えていくことが大切です。
現場の声を聞くのは煩わしく手間がかかるという考えの管理者側がまだまだ多いなか、現場は、そこにいる人たちしか知らないことが山のようにあるのです。
管理者側が現場の声を聞くことにより、現場の人たちも、安全を自分の問題としてとらえるようになります。
そうなると、繰り返されるヒューマンエラー災害を、「ありえない」と対岸の火事としてではなく、自分ごととして一人ひとりがとらえるようになります。
このような姿勢を、管理者側が働く人を巻き込み、ともに作り出していくことで、ほんとうの意味での命を最優先にした活動ができるのではないかと思われます。
まとめ
あり得ないと思うような事故は、危険が見えなくなるために起きてしまうようです。
人間の進化が短すぎて、「安全」と「危険」のバランスを個人個人にに任せるのは難しく、いったん事故が起きると、突如行動を抑制しようとする揺り返しが繰り返されています。
命を守るために、ヒューマンエラーを対岸の火事ではなく、自分事としてとらえ、どうすれば防ぐことができるのかを現場で考えることが非常に大切なのではないでしょうか。