今年ももうすぐお盆ですが、最近ニュースを賑わせている新興宗教の問題に絡んで、最近ウェブ上で読んだ真宗大谷派玄照寺住職の瓜生崇氏の記事が非常に印象的だったのでここにご紹介したいと思います。
思えば人生は迷いと選択の連続で、今まで様々なことに迷い、そのたびにその自分の決断を喜んだり、悔やんだり、苦しんだりしてきた。決断はそれが重いものであればあるほど苦しいものである。そして、自分の決断はすべて自分の人生の中で責任を取らなければならず、代わってくれる人はいない。
ところがカルトに与えられた答えによって「正しさに依存」すると、この決断の責任を自分で取らなくてもよくなるのだ。つまりは重要な選択はその教団の教えや指導者の指示に従えばいい。そうすることによって、仮に自分にとって不都合な結果が生じてもかまわない。
教義や指導者に従った上での結果は、それが一時的に自分や自分の周囲に耐え難い苦痛や不安を与えることになっても、結果としてそれが、自分の霊的な成長に必要な試練なのだとか、あるいは今は苦しいがもっと大きな幸福へ向かう過渡期にあるのだと説明されたら、それを信ずればよいことになる。
それが明らかに非合理な指示であったとしても、自分にはわからない深遠な願いがそこにあるのだと思えばいいのだ。
オウム真理教でもマハームドラーという論理が使われた。これはグルである麻原が俗物のふりをして不条理な指示を出し、弟子が本当に帰依できているかを試すというもので、地下鉄にサリンを撒けという、正気ならとうてい受け入れられない指示であっても「これはマハームドラーだ」と自らに言いきかせて、実行犯はその指示に従った。それによって自分にどんな結果が返ってこようとも、自分の判断を超えた「尊師の判断」によって、それに宗教的な意味づけがされるのである。そうやって「迷って生きていく自由」を放棄することで、人間は実に心地よく楽に生きることができるのだ。
どんな行動にも完全な意味が与えられる
こうした経験は私にもある。
私はかつて親鸞会に属することで「人間は最後に死ななければならないのに、なぜ今を一生懸命に生きるのか」という、長年自分を苦しめてきた問いから解放されていた。
なぜなら親鸞会では「絶対の幸福」になることがその答えであり、それが死を超えた人生の目的だと教えられていたからである。答えを与えられるということは、問いを放棄させられるということだ。人生の根源的な意味を求める宗教心は、教団から与えられた「正しさ」によって殺されてしまう。だから親鸞会にいる間はそこに迷いはなく、とても充実していたし、何よりどんな行動にも完全な意味が与えられていた。人生の無意味さに対する不安から解放されるのである。
問いを放棄させられ、「正しさ」によって宗教心が殺される、というのは、私の経験で言うと「会長先生の御心」という言葉でだいたい説明できる。私は当初、「どうしたら自分が本当に救われるか」という思いを持って教団で求道したが、途中でそれが「どうしたら会長先生の御心に叶うことができるか」にすり替わっていることに気づいた。それは救済の道程であり手段のはずだったのだが、教団の中でそれを言われ続けているうちに、いつの間にか教団や会長に服従することが自己目的化してしまうのである。
幹部会員は高森会長に対する忠誠心を競い、「どれだけ会長先生の御心に忠実に従っているか」がすべての行動基準であった。
親鸞会では親鸞聖人のアニメビデオを販売しているのだが、その活動が他のすべてに優先される。厳しい販売目標に現場が疲弊して通常の布教や育成が停滞しても、誰もこの活動が本当に意味があるのかを問うことはなかった。
なぜならアニメを頒布して布教することが目的ではなく、「会長先生の御心」に沿うことが目的だからである。だから高森会長が臨席の祝賀会や新年会では、毎回華々しいアニメ頒布の成果と感謝の言葉だけが発表された。不思議なことだが、「会長先生の法話」で「人間は最後に死ぬのにどうして生きるのか」という根源的な問いに目覚めた人たちが、「会長先生の御心」に忠実に従っている限り、その問いに悩むことはなくなる。
指導者の「正しさ」に依存する教団は、ピンと張り詰めた糸のようなもので、指導者がブレればすべてブレるし、指導者が静止していれば微動だにしない。
これは言うまでもなくカルト的な傾向を持つ教団において顕著な傾向であるが、指導者の言葉から離れて救済の内容を問い直す行為は、長い歴史と多くの先達による学究の蓄積があって初めて可能になるのである。よって歴史が浅く教義研究の蓄積を持たない教団は、カルト的か否かにかかわらず、指導者の言葉に依存する他に術がないのかもしれない。これは信者にとっては楽なことだ。
私にとって本当の救いとは何かという問いはすでに必要ない。ただ「○○先生はこうおっしゃった」と繰り返していればいいのだから。
しかし実のところ私は、こうした絶対的信順による問いや迷いからの解放を、理性の光の届かない深いところで求めていたのかもしれない。小説や映画などでも一人の人間に徹底的に仕え、従っていく姿が美しく描かれるときがある。
私が思い出すのは乃木希典の生涯である。近代日本の黎明期においてひたすら明治天皇に忠誠を誓い、明治天皇の崩御とともに自害して果てた乃木の生涯を、現代においても美しいと感じる人はそれなりにいる。人生を捧げて悔いはないという人物との出遇いを、潜在的に求めている人は少なくないのではなかろうか。この人、この教え、この教団になら生涯を捧げても悔いはないと、親鸞会にいたときの私はそう思っていたし、今思うとその生き様に酔っていたと思う。
そのときに蓮如は親鸞の著作である『教行信証』証の巻を持ち出せなかったことに気づくが、それを知った弟子の本向坊了顕は、猛火に包まれる吉崎御坊の中に飛び込んだ。
蓮如の居室にたどり着いた了顕は、焼けずに残っていた「証の巻」を見つけるが、すでに周囲は火に包まれており脱出できない。それを知った了顕は自らの腹を持参の短刀で十字に切り裂いて、「証の巻」を腹の中にねじ込んで命果てた。自らの身体をもって聖教を炎から守ったのだ。現在真宗大谷派の日常の勤行本は赤色の表紙なのだが、これは了顕が腹に聖教を入れて守ったことから、「血染めの赤」が由来だという説もある。
この物語は伝統的に人気の高い説教の題材であり、浄土真宗の歴史の中で長い間語られ続けた。私も幾度かこの説教を聞いたことがあるが、了顕が命をかけても守り伝えるものに出遇ったことから、浄土真宗の教えがいかに優れたものか、という説き方をされることが多かったように思う。こうした話は現代では狂信的であると捉える人も多いだろうが、宗教というのはおおよそこうした逸話には事欠かず、それなりの歴史を持つ教えなら、どこもこうした信順と殉教の物語をいくつかは持っているのである。
そして絶対的信順に生きるとき、それはどこまでも充実していて、迷いがないために楽で、自分の人生に一本の強い筋が通る。
「ブレない生き方」や「まっすぐな性格」に憧れるのもそうだ。しかし人間は「正しさ」を得てブレなくなってしまったときに、最も手に負えなくなる。それはナチスをはじめ、毛沢東やポルポトもそうであろうし、日本なら戦時中の帝国陸海軍や連合赤軍もそうだろう。
1978年に南米ガイアナで集団自殺事件があった。
この事件を起こした教団の名は「人民寺院」。設立者であるメソジスト教会の学生牧師ジム・ジョーンズは、アメリカ・インディアナポリスという保守的な土地であらゆる罵倒と嫌がらせを受けながら、人種差別からの解放を説いていた人物である。彼が既存の教会から袂を分かつことになったきっかけは、教会に黒人の信者を受け入れようとしたときに、長老や古参の信者たちから激しい抵抗を受けたことだった(キルダフ他『自殺信仰』)。彼は自らの理想を実現する教団として一九五五年に「人民寺院」を立ち上げ、貧民や弱者の支援、人種差別の撤廃を訴えたが、社会やメディアとの様々な軋轢の末にガイアナに教団の本拠地を移し、そこをジョーンズタウンと名付けた。
そこでジョーンズは隔絶された環境の中で、多くの信者と集団生活を始めたが、やがて集団は外部から攻撃を受けていると盲信し、信者への虐待や脱会者への罵りが始まり、自殺訓練がなされるようになる。この人権蹂躙の調査を行うために派遣された下院議員は教団によって殺害され、それをきっかけにジョーンズタウンの信者たちは、シアン化合物を混ぜたジュースを飲んで集団自決する。その数909人であった。
どうしてこんなことができたのか。
それは、「正しかったから」である。自分たちが絶対的に正しいと思っているから、従わないものを迷わず虐待したり排除したりできるのだ。そして少なくとも最初期の人種差別からの解放といった教団の思想は、現代の私たちの価値観から見ても十分に「正しい」と言えるものだった。
カルトという問題を考えるときに最も大事なのは、自分が「正しい」と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということである。
そもそも宗教は、その正邪を判断する基準を宗教そのものの外に持つことができないために、正しさを疑うことが容易ではないのだ。
いささか極端な話になるが、麻原彰晃が最終解脱を果たして覚者になったという話を、客観的かつ完全に否定することは不可能である。ほとんどの人がごく正常な感覚としてそれはウソだと言うだろうが、それは私たちの経験や感覚からくる嘘くささ、そして彼らがその後に起こした事件の反社会性から、そう予想して暫定的な判断を下しているに過ぎない。しかし宗教とは、そもそも人間の正邪の感覚や社会性の基準に縛られないからこそ、「宗教」なのであり、そうでなければ倫理や道徳と大差はない。
宗教が倫理や道徳の範疇に入るようなものならば、あれほどの犯罪を犯した麻原という人間を、いまだに尊師と仰ぐ人が多数存在することの説明がつかないではないか。
坂本弁護士一家殺害事件をはじめ、オウムの多くの犯罪に関わった新実智光は、逮捕後「一殺多生、最大多数の幸福のためのやむを得ない犠牲者である」とその行為の正当性を主張し続けた。この「一殺多生」という言葉、つまり一人の人が殺されることで多くの人が救われるのなら、その殺人は肯定されるという論理を表した言葉だが、戦前の日本の伝統仏教教団が戦争協力を推進するために使っていた言葉も、この「一殺多生」であった。
「一殺多生ハ仏ノ遮スル所ニ非スシテ愛国ノ公義公徳ナリ」と。そして「身ヲ殺シテ仁ヲナスハ教化ノ功績」と言っています。つまり、一殺多生は仏さまが禁止することではなくて、愛国のための正義であり、徳である。自分が犠牲となっても公義公徳を実践することは、布教による功績となる。と、「一殺多生」の布教が重要であることを訴えているのです。(大東仁『戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』)
これらのことで明らかになるのは、反社会的なことをしたから偽の宗教だとも言えなければ、正しい宗教を信じていれば反社会的なことをしないというわけでもない。そもそも何が社会性なのかという基準も時代によって全く異なり、戦時中には国家と戦争に協力することが宗教の社会性そのものであった。
むしろ「宗教として何が正しく、何が間違っているのか」という判断基準に普遍的な真理は存在しない。ごく普通に善良な市民として生活しているつもりの私が、近代のアメリカ南部に生を受ければ、敬虔なキリスト教徒のままで黒人を差別していただろうし、戦時中に生まれれば、仏教徒のままで大日本帝国の侵略と勝利に酔い、連合赤軍の中にいれば人民の幸福を願って仲間をリンチして殺し、イスラム過激派の中にいれば宗教的救済を求めてテロで無垢な市民を殺し、オウムの中にいれば「人のために尽くしなさい」と麻原に教えられて、サリンを撒くかもしれないということだ。一番恐ろしいのはここではないか。
オウムが地下鉄サリン事件を起こしたとき、少なくない仏教者が「あれは仏教ではない、本来仏教は人殺しの宗教ではない」と言った。イスラム原理主義がテロを起こしたときも、少なくない専門家が「イスラム教は本来平和を愛する宗教であり、彼らのようなものとは違う」と言った。
しかし「自分たちの信じる宗教は本来は『正しい』ものであり、教えのもとに人を殺すような事件が起きるのは、その信仰や解釈が間違っているからである」という教義の無謬性を前提とする思想は、「教えが正しいのだから人を殺してもいい」という信仰と実は表裏一体の関係にある。
死刑囚となった元オウム信者と面会を重ねてきた、オウム真理教家族の会の永岡弘行会長はこう語る。
体の不自由な人の車イスを押していた優しい若者が、三歳にも満たない幼児の首を絞めて殺害してしまう。凶悪な殺人者が犯罪に走ったのではなく、きれいな心を持った若者がいつしか、そのきれいな心のままで殺人を犯していた。これこそが、オウム事件の最も恐ろしい核心だ。一つ間違えば、誰もがそうなり得るということだ。オウム事件とは、麻原という憎しみの権化に操られた、普通の心優しい若者たちが起こした凶悪犯罪だと言える。「きれいな心のままでも人間は人を殺せる」ということは、誰でも条件さえ揃えばそうなり得るということだ。その意味でオウム事件は、誰にとっても他人ごとではない。(仏教タイムズ『オウム裁判終結 事件の核心 今後の課題』二〇一八・二・八)
小さな子供のいる弁護士一家を殺害し、仲間であった信者もリンチして殺し、ボツリヌス菌を培養して散布することを計画し、VXガスとサリンを実際に撒いた彼らを見て、私たちと同じように「正しく生きたい」という意志を持ってやったのだと思うことは、とうてい受け入れ難いだろう。しかし私はこの「きれいな心のままでも人間は人を殺せる」という言葉ほど、オウム事件の本質を捉えたものはないと思う。
クリストファー・ブラウニングは『普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊』において、その全員がナチス体制以前の時代に教育を受け、ナチスとは異なる政治的基準や道徳的規範を知っていたはずであり、しかも最もナチ化の低いハンブルクの労働者である「普通の人びと」が、いかにしてユダヤ人の虐殺を実行していったかを、精緻に分析している。
最初のユゼフフの虐殺でも部隊を束ねるトラップ少佐が泣きながら任務の内容を説明した上で、参加したくないものは処罰なしで任務から外すと言うが、ここで任務を拒否したものは五百人の隊員のうち「わずか一ダースほど」に過ぎなかった。
1942年に行われたこの虐殺では、隊員は血まみれになって任務を遂行し、少なくない隊員が心を病んでしまうが、やがて隊員はユダヤ人の移送作業や虐殺に次第に慣れ、手際よく「任務」を遂行するようになる。
600万人が殺されたという一連のホロコーストにおいて、実務的な手続きや計画に関わったドイツの官僚機構において、ためらうものはわずかであり脱落者もほとんどいなかった。
ドイツの一般国民もその状況を知りつつ、その絶滅政策については沈黙していたと言われている。ナチスが行った障害者の安楽死殺人について抗議した住民も、ユダヤ人への処置に対しては沈黙するか無反応だったという(芝健介『ホロコーストナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』)。
思考や感情や意志について、本来の行為がにせの行為に代置されることは、遂には本来の自己がにせの自己に代置されるところまで進んでいく。本来の自己とは、精神的な諸活動の創造者である自己である。にせの自己は、実際には他人から期待されている役割を代表し、自己の名のもとにそれをおこなう代理人にすぎない。たしかに、ある人間は多くの役割を果し、主観的には、各々の役割においてかれは「かれ」であると確信することができるであろう。しかしじっさいには、かれはこれらすべての役割において他人から期待されていると思っているところのものであり、(中略)本来の自己はにせの自己によって、完全におさえられている。
私たちは生きる限り迷い続ける存在だが、迷うことの苦しさから、周囲から期待される「正しさ」という「にせの自己」を作り上げるのかもしれない。
フロムの言う「本来の自己」とは、迷い続ける自己だと私は考える。そしてニセモノの宗教に対して本当の宗教というものがもしあるとしたら、それはどこかに私が迷う余地を残し、迷う力を与えるもの。つまりは代置された「にせの自己」の中から、「本来の自己」を呼び覚ますものであるべきではないだろうか。
『なぜ人はカルトに惹かれるのか――脱会支援の現場から』