うかつな物言いが原因で、相手からの反発やいらだちを被るのは、できるだけ避けたいものです。
人間がひとりきりで成し遂げられることは少なく、仕事においてもチームで成果を出す時代になってきています。
不快感を招かない言葉選びは、職場での居場所を守る術にもなりつつあるようで、逆に言葉選びやトークに難のある人は上司や周囲からの評価も得にくくなっているとも言えるでしょう。
今回は、元文化放送のアナウンサーでもある梶原しげる氏著書 『イラッとさせない話し方』 (日経ビジネス人文庫) より、相手に不快な思いをさせない言葉選びについてご紹介したいと思います。
誰でもそうですが、敵だと思う相手には身構えるものです。
その言い方が高圧的だったりすると、さらに言い返したくなる気持ちも募ります。
そうならないように「対立・対決の構図」に見えない言い方の工夫が大切なのです。
職場での典型的な「対立・対決の構図」としては、注意や指導のシーンにおけるものの言い方が挙げられます。
こういったシーンで相手を責め立てるような口調で話すと、高い確率で反発を招いてしまいます。
「もっと注意しろよ」「何をやっているんだ」「いい加減な仕事をするな」など「自分への攻撃を仕掛けている」という被害者的な気持ちになりやすい言葉は、言われた側がストレスを感じるきっかけになりかねません。
すると「やられたから、やり返す」という報復の意識がおのずと芽生えてしまうのです。
なので、個人攻撃と受け止められる物言いを避けることによって、恨まれるリスク自体をを遠ざける効果が期待できるのです。
ミスの原因究明が大切なことは間違いないのですが、その責任を個人に求めて、落ち度を攻撃ばかりしていると恨みを買いやすくなります。
さらに「何してるんだ」「注意しろよ」といったあいまいな言い方では、言われた側は何を注意すればよいのかもわかりません。
言いっぱなしでネガティブな言葉だけを投げつけられたと感じた側は、不満しか残らないのです。
しかも個人攻撃では、本来注意した先に行うべきである、原因究明と再発防止につながりにくいという懸念が残ります。
途中で誰かが防ぐことができなかったのか、なぜミスになったのか、どうすれば再発防止につながるのかという気づきを見逃すおそれもあります。
事態の改善をはかるには、ミスをした本人と一緒に、「再発防止策を練る」「ミスを出さない方策をひねり出す」というチームとしての取り組みが大切です。
ミスをした本人は、事情に最も詳しいいわば最大の情報提供者でもあるため、「何か都合の悪いことを言えば、自分が不利になる」と考えて、改善のために必要な情報に口をつぐんでしまわないように気を付けなければなりません。
ミスをした本人をとがめたりおとしめたりするのがゴールではありません。
いかにして再発を防ぎ、ミスの出ない対策を練るかが最終ゴールだということを前提に考えることで、当人を追い詰めず、最後には「ありがとう、君のおかげで手順の改善がまた一歩進みそうだ」とでも言い添えれば、恨みを買う可能性は低くなります。
よほど上手な人でない限り、人を叱ると、叱られた側は縮こまり、おびえてしまいます。
中途半端に叱ることから期待できる効果は「こんないやな思いをするのなら、今後はもっと気をつけよう」といった程度の個人的な反省であり、組織全体の具体的な再発防止にまでは至らない場合が多いのです。
これでは叱る意味がないだけでなく、叱られた側は苦痛だけが残り、それが恨みに転じるリスクをはらんでしまい、「叱り損」にもなりかねないのです。
しかし、悪気の有無が問題なのではなく、相手が腹を立てたこと自体が好ましくないのであって、積極的に仕掛けたかどうかは別の話なのです。
むしろ、悪気がないのに相手を傷つけてしまったという事実は、話し手の知見の底浅さを示すともいえるでしょう。
なぜならその言い方や言葉使いが不愉快なニュアンスを含んでいると自覚せずに使っているため、話し手のデリケートな感覚の鈍さがトラブルの原因となってしまっているからです。
現代においては、言葉を取り巻くルールや意識も様変わりしてきています。
一昔前には冗談や軽口で通用した言葉も、今では白い目で見られ叩かれるケースがいくらでもあります。
先日も早稲田大学の社会人向けのセミナーで、「田舎から出て来た右も左も分からない若い女性を、無垢な生娘のうちにシャブ漬けにするように牛丼中毒にする」と発言した、大手企業の常務取締役が辞任に追い込まれマスコミを騒がせましたが、「シャブ漬け」が比喩として尋常な言葉選びでないのはもちろん「無垢な生娘」などの不快用語も気にせずに発言していたのだとしたら、この人の感覚は非常にまずいと言わざるを得ません。
多様性が広がりつつある今、物事のとらえ方も昔に比べて一様ではなくなっています。
自分だけの価値観で「普通はこうだ」「これは常識だろう」などというおしつけは、相手の不快感を呼び起こすだけではなく、恨みを買うこともあり得ます。
自分の正解が世間の正解ということはなく、頭の隅でいつも「不正解かもしれない」と意識しているほうがよいのかもしれません。
外見や容姿に関しても、「ほめているのだからいいだろう」といった思い込みは危険です。
女性に対して「おっ、やせたね」などと声を掛ける行為も相手を傷つける可能性があり、うかつな物言いはしないに越したことはないのです。
勝手な親切心から、よかれと思って、と望まれない言葉で相手を傷つけてしまうことだって起こり得ます。
相手に対していかに愛があるからと意図していても、「愛のむち」であれば、きつい言葉を浴びせても構わないなどということは成り立たないのです。
「言葉を選んで話すように」と言うと、「いちいちそんなに気にしていたら、何にも言えなくなる」と、不満を漏らす人がいるものです。
しかし、他人を傷つけずに言葉を発することができないのであれば、必要以上にしゃべらないというのもひとつの選択です。
誰もがいっぱいしゃべらなければならないわけではないのですから。
現代に使うことが好ましくない「不快用語」を予習して頭に入れておけば、発言時に地雷を踏まずに避けられます。
たかだかおしゃべりのために勉強しなくちゃならないのか、と思われる方もおられるかもしれませんが、知識もなく無自覚のまま発言したことで恨みを買ったとしたら、やがて突然痛い目をみることもあるかもしれません。
あなた自身がいくら恨みを買っているなどとはつゆほども思っていなくてもです。
周囲と良好な人間関係を維持していこうと考えるのであれば、最低限の勉強はしておいたほうが賢明でしょう。
生まれてこのかた、もう何十年も日本語を使ってきたのに、何をいまさら教わることがあるのだ、という方も、典型的な勘違いをされていると言えるでしょう。
無意識に他人を傷つけてしまう日本語の使い方が下手な人、というのは特に珍しくもありません。
日本語のありようが時代につれて変化しているのですから、その時々の時代に合わせた適切なアップデートは欠かせないのです。
生活に根差した日本語表現は変化し続けています。
何歳になろうとも、学び始めるのに遅いということはありませんよ。
まとめ
もうNGワードを学び、使わないように気を付けるというだけでは不十分かもしれないのです。
同じ意味の語彙を他の言葉で言い換える「類語」「関連語」「連想語」で検索すると、関連したホームページが見つかりますし、「不快」「言葉遣い」などの検索ワードを組み合わせると、どんな言葉が不作法に当たるのかを知ることもできます。
時代に合った日本語表現のアップデートを行うことは、職場で恨みを買わずに生き残っていくうえで必要不可欠な心構えになってきているようです。
イラッとさせない話し方 (日経ビジネス人文庫)