子どもについ言いがちなこれらの言葉。アドラー心理学ではあまり言わないようにとされています。
その理由とは何なのでしょうか。
子育てと教育において、アドラーが必要としたのは「自立」と「協力」のふたつです。
自立=自分でできる、自分はこうしたいと思えること。
協力=まわりに助けを求めたり、考えや意見の違う人と折り合いをつけられること。
今回は、平本あきお氏、前野隆司氏共著 『幸せに生きる方法(ワニ・プラス)』 から、幸せな性格を養う子育てについて考えたいと思います。
あなたは、ケンカをしている子どもに「仲良くしなさい!」と言ったことはないでしょうか?
実際に口では「仲良くしなさい」と言っていながら、多くの親が押し付けるという反対の態度をとっています。
アドラー心理学では、「仲良くしなさい」とは言いません。
なぜなら「こうしなければならないから、やりなさい」といった言葉は、子どもを自立に向かわせるものではないからです。
このような場面で必要なのは、子どもが自分でまわりの人とうまく折り合いをつけられるように促す言葉なのです。
では、あなたの子どもが友だちとケンカをしたときには、どんな言葉をかけるのがよいのでしょう。
先述のように「仲良くしなさい」では、子どもの自立心は育ちません。
「もうあの子とつき合うのはやめなさい」も同様です。
こういう言葉を何度も強く繰り返すと、子どもは親の価値観に従うか、反抗するかしかありません。
それが子どもの性格、生き方を形成していき、子ども自身が判断して態度を選ぶことができなくなっていきます。
目の前でケンカをしている子どもに対して、最初は目的論を用います。
あなたが子どもがどのようにに育ってほしいのか、そうなるためには何を伝えたらよいのかを自分自身に問いかけてみましょう。
次に、子どもがケンカをした相手とこの先どうしたいのかを決めます。
決めるのは、親ではなく、子ども自身です。
そして、親が子どもと一緒に主観的な見方をして、一緒に考えていきます。
子ども:「あっちが先に叩いたんだよ」
親:「それは嫌だったね。痛かった?」
(子どもに関心を向け、共感します)
子ども:「ちょっとおもちゃを借りただけなのに」
親:「そうだね。あの子はどんな気持ちだったんだろうね」
(ケンカ相手にも主観的な見方をして、相手の立場に関心を向けるように促します)
親:「おもちゃを横取りされたと思って嫌な気持ちになったのかもよ」
子ども:「ああ、そうか。あの子はいきなり取られたと思ったのかも」
(お互いの立場が確認できたら、子どもの希望を聞きます)
親:「これから、どうしたい?」
子ども:「うーん。おもちゃは借りただけだよって話してみる」
このような流れでやりとりをすると、子どもは叩いた側の気持ちも、自分の気持ちもわかって折り合いがつけられます。
折り合いをつけるとは、自分は自分の価値観でやりたいこと、他者は他者の価値観でやりたいことをお互いに対等な関係で認め合ったうえで、双方が納得できる解決策を見つけることです。
ですから「宿題をやりなさい」と言ってしまう前に、まずは目的論を用いて「私は何のために子どもに宿題をしてほしいのだろう」と自問するといいでしょう。
お母さんに言われたから宿題をやるという行動をとることが、子どもの自立につながるのか、子どもの人生にとってプラスになるのかマイナスになるかを考えれば、答えは自ずと出るのではないでしょうか。
そして一番の問題は、宿題をやる理由や目的が「お母さんに言われたから」というのが、子ども自身が望んだものではないということです。
まず「お母さんは、あなたにこんな子になってほしいと思っている、だから…」と話して、子どもと親の双方が納得できる宿題の取り組み方、勉強の仕方を決めていくのもいいと思います。
子どもと話し合うなんて遠回りで面倒だ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうしたやりとりを繰り返すうちに自立と協力が身についた子どもは、自らどんどんスピーディにさまざまな問題を解決していけるようになります。
人間としての社会生活の第一歩となる幼稚園や保育園に通い始めるまで、多くの子どもは自分の望みをほぼすべて叶えてもらえる、愛情に満たされた世界で生きています。
しかし、いざ幼稚園や保育園に通い始めると、同じような年代の子どもが大勢いる空間では、それまでと同様の愛情や注目を集めることはできなくなります。
子どもも最初は親と同じように先生に対して「自分のためだけにいる存在」という前提で接してしまうので、他の子に構っているだけで、すねたり、泣いたり、妙におとなしくなってしまったり、ということが起きます。
おもちゃも全部自分のモノという感覚なので、「今、自分が遊びたい」ということしか考えられず、「他の子と一緒に遊ぶ」という意味が理解できません。
こうした場面で出やすいのが「ガマンしなさい」という言葉ですが、アドラー心理学では「ガマンしなさい」とは言いません。
なぜなら、子どもに育んでほしいのは「自分のしたいことをガマンする」のではなく、「自分にしたいことがあるように、他者にもしたいことがある。だからどうしたらいいのか一緒に決めよう」という協力しあう感覚だからです。
なので、おもちゃを取り合ってしまう子どもには、まず「このおもちゃ楽しいよね。すごく遊びたいね」と子どもの興味に関心を向けて共感し、「あの子も同じおもちゃで遊びたがっているみたいだよ」と別の子の興味にも関心を向けるように促します。
子どもが「うん。そうみたい」と反応してきたら、「あなたが遊びたいのと同じくらい、あの子もものすごく遊びたいみたいだけど、どうする?」と、子ども本人にどう行動するのかを決めてもらうというのが基本的なアプローチになります。
こうすることで、「自分のしたいことをガマンして、他人に差し出しなさい」という表面的な利他主義ではなく、あなたにも他の人にも、みんな同じように利己主義があるから、相手の立場に立って、どうするかをあなた自身で決めるという、本来の利他主義を伝えることができます。
まとめ
しかし、実際はただガマンしているだけで、心のなかでは「どうしてあの人の意見だけ優先されるの?」とか「あの子と同じ扱いだなんて信じられない」などというネガティブな感情がうごめいているのかもしれません。
その無自覚なガマンのせいで、大人になっても誰かに指示されないと動けないとか、自分だけ可能な限り独占したほうが得だ、といった性格や生き方にはしり、協力的な行動に移せないということがビジネスの現場にまで影響してきます。
自分の利益と他人の利益がバランスよく整っている状態、仏教用語で言う「自利利他円満」が本来の利他主義だと言えるのではないでしょうか。
『幸せに生きる方法』(ワニ・プラス)