そんな悩める人たちのためにと、自己肯定感を高めるためのコツを伝授する本が数多く出回っています。
しかし、長い人生経験を通して培われてきた自己肯定感が、そんなに急に変わるものではありません。
今回は、自己肯定感をどうとらえればよいのかについて考えてみようと思います。
このような人たちは、人生がうまくいっている人は自己肯定感が高いものと思い込んでいるフシがあります。
仕事でも人間関係でも、うまくこなしている周囲の人たちはみんな自己肯定感が高いのだと思い込み、極端な場合は、自分だけがこんなに自己肯定感が低いのだと落ち込みます。
しかし、それは大きな勘違いなのです。
わかりやすい例を挙げると、オリンピックや世界選手権などにいつも代表として選ばれるような著名なアスリートが、「自分はすごい」「自分に満足」というような自己肯定をしているかというと、決してそんなことはありません。
日本を代表するアスリートとして活躍している人たちでさえ、自己肯定感が明らかに高いわけではないのです。
世界大会などで優勝した個人やチームの主将のインタビュー場面を思い出してみましょう。
私たち日本人の多くは、自画自賛するようなことはなく、「今回は、たまたまコンディションがよくて、結果としてうまくいきましたけど、自分なりの課題も見えてきたので、そこを克服するように頑張っていきたいと思います」といった謙虚な姿勢を示し、運が良かったということを口にしたり、今後の課題を口にしたりします。
「どうなるか、不安はあったんですけど、とにかく全力を尽くそうと思って臨みました」などと、不安だった心の内を吐露する人もいます。
多くの国民が注目するヒーローインタビューを受けているトップアスリートでさえ、謙虚な姿勢を見せ、あからさまに自己肯定感の高さを示すようなことはあまりしないのです。
具体的なケースをご紹介すると、昨年の東京オリンピックで、400メートルと200メートルの個人メドレーで金メダルを取り、日本競泳女子初のオリンピック2冠を達成した大橋悠依選手は、もともと自己肯定感が低く、引退をほのめかす発言も一度や二度ではなかったのだとか。
不安が急速に膨らんで本番まで1カ月を切ったある日、大学時代から師事する平井伯昌コーチに、「オリンピックに出ても決勝に残れません」と吐露したのだそう。
平井コーチのアドバイスを受けてオリンピックに挑んだものの、まさか金メダルを取れるとは1ミリも思わなかったそうです。
オリンピックで金メダルを取れるアスリートでさえ自己肯定感が高いわけでなく、むしろその低さにあえぎながらトレーニングを積んでいたのです。
まして私たちのような普通に暮らしていると、自己肯定感が高くないからといって特別な問題が起きるとはあまり思えません。
それはメディアをはじめとしたマスコミの論調にその原因があるように思えます。
たとえば2013年に内閣府が実施した、「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると、「私は自分自身に満足している」という項目を肯定する比率は、アメリカ86.0%、イギリス83.1%、ドイツ80.9%、フランス82.7%など欧米諸国は一様に8割を超えているのに対して、日本においては45.8%と極めて低く、半分にも満たない比率にすぎません。
同じ内容の調査を5年後の2018年にも実施していますが、欧米諸国は前回同様8割を超えているのに対して、日本は45.1%と相変わらず極めて低く、欧米諸国の半分に近い比率のままです。
さらに、内閣府が2019年に実施した「子供・若者の意識に関する調査」では、「いまの自分に満足している」という項目で、これを肯定する比率は40.8%にすぎず、6割が今の自分に満足していない結果となっています。
このようなデータを引き合いに出して、日本人も欧米並みに自己肯定感を高めなければならないなどと喧伝し、叱る教育ではなく褒める教育を推奨するなど、さまざまな試みが行われているにもかかわらず、欧米との歴然とした差は一向に縮まる気配がないのはなぜなのでしょうか。
それは、欧米人と日本人の心のあり方には明らかな違いがあるからなのです。
反対にこの問題を欧米の人々に問うた時に、自己肯定感が低いから自分たちの振る舞い方や心の持ちようを鑑みて、やり方を変えなければなどと思うでしょうか。
おそらく自分たちの国と日本やアジアの国々の文化が違うのだと感じるだけでしょう。
大切なのは、日本人は自分の現状に安易に満足せず、まだまだ未熟でダメだと思う気持ちを向上心に変換する文化を持っているということなのです。
欧米のように、虚勢を張ってでも自信満々に見せ、偉そうに振る舞わないと、侮られたり馬鹿にされたりして生きていけない社会ではありません。
むしろ謙虚さを持っている方が適応がスムーズになり、心の奥底に本当の自己肯定感が培われていくのではないでしょうか。
日本では無理に自己肯定し、人を押しのけて自分をアピールしなくても生きていける社会なのです。
肯定することは傲慢なことかもしれないと思い、まだ上を目指す余地があると考えるからこそ「そんなことはない」とこの項目を否定すると、調査の結果としては、自己肯定感が低いとみなされてしまうのです。
もしかすると日本人の自己肯定感の低さは、向上心がある証拠とみなしてもよいのではないのかと考えてしまいます。
それでも漠然と自己肯定感は高くないといけないと思い込んでいる方が多いようですが、では、自己肯定感が高いというのはどんな心理状態を指すのでしょうか。
そもそも人を成長に導く自己肯定感というのは、あからさまに自己肯定する欧米式のものだけではありません。
謙虚に振る舞い、今の自分に不安を感じながらも乗り越えようと努力する、そんな姿勢が、私たち日本人にとっての本当の自己肯定感につながっていくのではないでしょうか。
素晴らしい成果を出し、称賛されるトップアスリートですら、不安は消えることなく、新たな課題を自ら次々に浮上させています。
そんな不安を払拭すべく課題に取り組むことで、じわじわと自分を信じる力が培われていくのかもしれません。
これはスポーツだけでなく仕事でも同じことが言えそうで、最終的な成功者になるのは、褒められるとすぐ喜び、自己肯定感に酔っているような人ではなく、常に目の前にある課題に没頭しながら乗り越える努力をしている人ではないでしょうか。
自己肯定感を高めましょう、そのためにはこうしましょう、といった言葉に安易に乗せられず、こうなりたいと思う自分を追いかけているうちに、本当の自己肯定感を適度に感じられるようになっていくことが大切なのかもしれません。
まとめ
しかし、すぐに高まるようなものなら、またすぐに崩れてしまいかねないですよね。
本当の自己肯定感とは、自分自身に不安を覚えながらも、日々目指す課題に取り組むことで、じわじわと自分を信じる力が培われていく途上で感じられるものなのかもしれません。
自己肯定感をきちんと理解できていないまま踊らされるのは避けたいものです。
自己肯定感という呪縛