程度の差こそありますが、大抵の子は一度は通る道ではないでしょうか。
今回は、なぜ子どもはズルをしてしまうのか、わが子のズルを発見してしまったときに親としてはどう対応すればいいのかについて考えてみたいと思います。
このときの子どもの「欲求」は、勝ったり一番になっていい気分になりたい、と強く思っている状態です。
もちろんズルはよいことではありませんが、負けん気が強く勝負にこだわるのは、スポーツやビジネスで結果を出していく上での長所だともいえます。
子どもの思いは否定せず、行為だけを改善していくために、次のような対応はどうでしょうか。
「○○ちゃんはズルをしても勝ちたかったんだよね」
「勝つのは確かにかっこいいけど、勝つためのズルせずに一生懸命がんばるのはもっとかっこいいと思うな」
「それに、いちばんじゃなくてもママは○○ちゃんが大好きだよ!」
また、ママやパパの子どもの頃の話を聞きたがる子どもは多いので、
「ママも○○ちゃんくらいのときズルをして勝ったことがあるけど、今でもああ、やめればよかったなと思いだしちゃうの」
「何回もズルしてたら、お友だちが遊んでくれなくなったことがあるんだよ」
と体験談を話してあげるのもいいですね。
もし、わが子のそんな行動を知ったら、将来カンニングなどで問題を起こすのでは!?と、親としては心配になるものです。
このときの子どもの心理は、叱られる、バカにされる、宿題が増えて遊ぶ時間がない、といったイヤな未来から自分を守りたいという気持ちが強く働いているのです。
大人ももとは子どもです。
このような気持ちは大人でもよく理解できるのではないでしょうか。
こういった、誰もがズルをしようと考えがちな場面で、まじめに課題に取り組んだり正直にバツをつけたりするかどうかの決め手は、実は子ども自身の性格だけでなく周囲の大人の接し方によっても変わってくる可能性があります。
海外の研究によると、子どもたちに伏せたカードの数字当てゲームをやらせたあと、「がんばったね」と途中経過をほめた子たちと、「賢いね」とほめた子たちに分けて、部屋を出て観察してみたところ、「賢いね」といわれた子たちだけが、誰もいなくなると、次回も数字を当てるためにこっそりカードをのぞいたといいます。
次も「賢いね」と言われたい、でも当てられるかどうか分からない不安から、何としても当てなければ、というプレッシャーがかかりズルを誘発してしまうのです。
大人の声掛けが「がんばったね」であれば、次回もがんばればいいのだから、不正をする必要はないわけです。
日頃、子どもに対して結果にこだわりすぎる、結果さえ良ければほめる…という関わり方を繰り返していると、子どもは「正解しないと」というプレッシャーから「どんな方法を使っても正解さえすればいい」と思うようになってしまうのも不思議はないのです。
なお、現在、教科書やノートを見返してもどうしても答えが分からない宿題は解答を見ながら写すのも勉強という考えの先生も増えています。
家で子どもが解答をみながら宿題をやっているのを見たら、「楽をするな!」と頭ごなしに叱らず「なぜそうなるのかを考えながら書き写す」→「一部だけ見て解く」→「何も見ずに解く」というステップを踏むように導いてあげてください。
親としては、できればわが子にはそんな人間にはなってほしくない、と思いますが、わが身を振りかえり、自分は今まで一度もズルをしたことがない!と断言できる人はどれぐらいいるでしょうか。
鬼ごっこでつかまりそうになると、急に「やーめた」と抜けてしまう。
すごろくのコマを数より多く進めてしまう。
その程度のズルの経験は「ああ、そういえば自分もやってたな」と苦笑いする人が大部分ではないかと思います。
成長していく過程で、ズルをしたあとのイヤな気持ちをずっと引きずって後悔したり、友だちの信用を失ったりという経験を重ねた結果、その人なりの「ズルはよくない」という基準を持てるようになっているはずなのです。
「ズル」の中には、困った状況を訴えても考慮してもらえない場面で、学校でも社会でもしばしば起こるものがあります。
例えば、給食で食べられない食材をこっそり隠して持ち帰るのは「ズル」でしょうか。
給食の量が身体に対して多すぎたために食べきれなかった、しかし残すのを認めてもらえなかったのかもしれません。
このような背景を踏まえていくと、必要以上に子どもを厳しく叱ってしまうことはなくなるのではないでしょうか。
まとめ
現代のように少子化がすすみ、学歴社会にさらされた中では、周囲が1人の子どもに対して「勝つこと」を期待する場面が非常に多く、プレッシャーで心に深いダメージを受けてしまう子どもがいてもおかしくありません。
プレッシャーに押しつぶされるくらいなら、たまには「ズル」もして心を休めるほうがずっと健康的かもしれません。
親心として、ゆとりのある気持ちで子どもを見守っていきたいものです。