意識していなくても親としては、何気なく口に出てしまうものです。
しかしアドラー心理学では、これらの言葉はあまり言わないほうがよいとされています。
今回は米国アドラー心理学修士でメンタルコーチでもある平本あきお氏と慶應義塾大学教授前野隆司氏による『幸せに生きる方法』(ワニ・プラス)をもとに、その理由を掘り下げたいと思います。
自分の性格がどういうものかという前提に立ち、自己受容、他者信頼、貢献感から成り立つ共同体感覚を高めることこそが主眼なのです。
人間の性格形成において、重要なのは5歳から10歳までの期間です。
親が子育てによって、教師が教育によって、この大切な時期の子どもの共同体感覚を高めるように接することができれば、子どもたちは幸せな性格を獲得できると言えます。
では、幸せな性格を育む子育てとは何なのでしょうか。
アドラーが子育てと教育において必要としたのは、自立と協力の2つです。
自立=自分でできる、自分はこうしたいと思えること。
協力=まわりに助けを求めたり、考えや意見の違う人と折り合いをつけられること。
自立と協力は一見当たり前のように映るかもしれませんが、多くの親が実際には反対の態度をとっています。
たとえば、ケンカをしている子どもに「仲良くしなさい」と言ったことはありませんか。
アドラー心理学では「仲良くしなさい」とは言いません。
なぜなら「こうしなくてはいけないから、やりなさい」「ダメだから、ダメ」といった言葉は、子どもを自立に向かわせるものではないからです。
こうした場面で必要な言葉は、子ども自身がまわりの人と折り合いをつけられるように促す言葉です。
もしもあなたの子どもが友だちとケンカをしたら、どんな言葉をかけるでしょうか。
前出したように「仲良くしなさい」という言葉では、子どもの自立心は育ちません。
「もうあの子とつき合うのはやめなさい」も同様です。
こういう言葉を何度も強く繰り返せば、子どもは親の価値観に従うか、反発するしかなくなります。
それが子どもの性格を形成していくのです。
親はまず自分に、子どもをどんな人物にしたいのか、そのために何を伝えたいのかと問いかけます。
次に、子どもがケンカをした相手とこれからどうするのかを決めます。
それを決めるのは、親ではなく、子ども自身です。
ここから先は主観主義で、子どもと一緒に考えていきます。
「あっちが先に叩いた」と子どもが言って来たら、「それは嫌だったね。痛かった?」と子どもの関心に関心を向け、共感します。
「おもちゃをちょっと借りただけなのに、叩くなんてひどいよ。」と続けたら、「そうだね。じゃああの子はどんな気持ちだったんだろう」と叩いた友だちにも主観主義を使い、相手の立場に関心を向けるように促します。
「いきなり取りあげられたと思って、怒ったのかもしれないね」と促し、「ああ、そうか。あの子は横取りされたと思って嫌な気持ちになったのかも」と子どもとケンカ相手の立場がお互いに確認できたら、子どもの希望を聞きます。
「どうしたい?」
「うーん。おもちゃは借りただけだよって話してみる」
こんな流れでやりとりをすると、叩いた側の気持ちも、自分の気持ちもわかり、子どもの中で折り合いをつけることができます。
折り合いをつけるとは、自分は自分の価値観で、他者は他者の価値観で「こうしたい」と思うことを、互いに対等な関係で認め合ったうえで、双方が納得できる解決策を見つけることです。
ですからやみくもに子どもに対して「宿題をやりなさい」と言ってしまう前に、まず目的論を用いて「何のために私は子どもに宿題をしてほしいのだろう」と自問するといいでしょう。
「お母さんに言われたから宿題をやる」ということは、子ども自身の望んだ目的ではありません。
「宿題をやりなさい」と言う自分の言葉が、子どもの自立につながるか、人生にとってプラスになるか、それともマイナスになるかを考えれば、答えは自ずと出るのではないでしょうか。
「お母さんは、あなたにこんな子になってほしいと思っている」と話して、子どもと親の双方が納得できる宿題の取り組み方、勉強の仕方を決めていくのもいいでしょう。
そんなやり方は遠回りで面倒だと思われる方もおられるでしょう。
しかし、こうしたやりとりを繰り返すうちに自立と協力が身についた子どもは、どんどんスピーディにさまざまな問題を自力で解決していけるようになります。
多くの子どもは、幼稚園や保育園に通い始めるまで、自分の望みはほぼすべてが叶えられ、100%の愛情を受け取る世界で生きています。
しかし、同じような年代の子どもが大勢いる空間では、それまでと同じように愛情や注目を受け取ることはできません。
最初は幼稚園や保育園の先生に対しても親と同じように「自分のためだけにいる存在」として接してしまうので、先生が他の子に構っているだけで拗ねたり、泣いたり、妙におとなしくなったりします。
園内にあるおもちゃも全部自分のモノという感覚なので、「今、遊びたい」しか考えられず、「他の子と一緒に遊ぶ」という意味がわからないのです。
こうした場面で出やすいのが「ガマンしなさい」という言葉ですが、アドラー心理学では「ガマンしなさい」とは決して言いません。
なぜなら、子どもに育んでほしいのは「自分のしたいことをガマンする」ことではなく、「自分にしたいことがあるように、他の人にもしたいことがある。だからどうしたらいいのか一緒に決めよう」とする協力の感覚だからです。
なので、おもちゃを取り合ってしまう子どもには、まず「このおもちゃで遊びたいんだね。すごく楽しいね」と相手の関心に関心を向けて深く共感してから、「あの子もこのおもちゃで遊びたがっているみたいだよ」と別の子の関心にも関心を向けられるように促します。
子どもが「うん。そうみたい」と反応してきたら、「あなたが遊びたいのと同じくらい、あの子もものすごく遊びたいみたいだけど、どうしようか?」と本人に決めてもらうというのが基本的なアプローチになります。
こうすることで、「自分のしたいことをガマンして、他人に差し出しなさい」という表面的な利他主義を強いるのではなく、あなたにも他者にも、みんな同じように利己主義があることを踏まえて、相手の立場に立って、どうするかをあなたが決めるという、本来の利他主義を伝えることができます。
それは表面的にはポジティブに見えますが、実際はただガマンしているだけで、心の中ではネガティブな感情がうごめいていることもあるかもしれません。
「どうしてあの人の意見だけ優先されるのか?」「自分があの子と同じ扱いだなんて信じられない」などということが起こりやすくなってしまうのです。
アメリカの教育では「みんなと仲良くしなくていいから、みんなと自分の違いを理解しなさい」と教えることがあります。
自立と協力の感覚がないまま10歳までを過ごすと、大人になっても「誰かに言われないと動けない」とか、「可能な限り独占したほうが得だ」といった性格を持ち続けることになりかねません。
大人になってからでも、勇気づけの技法などを使いながら、性格を変えていくことはできますが、一方で、このような心理学の理論を知らないままずっと過ごしていると、無自覚なガマンを強いられたせいで、協力的な行動に移せなくなるということがビジネスの現場でも見られるようになります。
本来の利他主義というのは、仏教用語で言う自分の利益と他者の利益が、円満にバランスしている状態である「自利利他円満」です。
利己か利他かと分けずに、バランスの良い答えに行き着くないところが、アドラーは東洋的な感覚を持っているのでしょう。
自立と協力が大切だということがわかっている人は大勢います。 しかし、具体的にどうしたらいいかはなかなかわからないもので、そこを探究したのがアドラー心理学なのです。
まとめ
今回は、わかりやすくご紹介するために、子育ての事例で説明していますが、根底の考え方は、大人の世界におけるビジネス現場での人材育成や組織開発にも通用します。
ぜひ、ご自身の職場やメンバーについて、似たようなことが起きていないかを思い出しながら自立と協力の感覚について考える機会になれば幸いです。
『幸せに生きる方法』(ワニ・プラス)