あなたの子どもが、理由はよくわからないけれど、勉強しても点数がとれなかったり、コミュニケーションが苦手だったり、なぜか不器用などといった生きづらさを抱えているような気がする…そんな場合は、もしかすると境界知能が原因となっているかもしれません。
今回は、児童精神科医の宮口幸治氏著書『境界知能とグレーゾーンの子どもたち』から、子どもの境界知能について考えてみたいと思います。
そのような問題行動の裏に潜んでいる原因として、じつは「境界知能」の可能性があるようです。
IQ69以下が「知的障害」の基準ですが、「境界知能」はだいたいIQ70〜84ほどで、知的障害には該当しないものの、一般的に見れば低い学習パフォーマンスを示す「グレーゾーン」に位置付けられます。
しかし、知的障害とは認識されていないため、勉強が苦手、やる気がない、さぼっている、というような誤解を受けやすいのです。
勉強だけでなく、運動やコミュニケーションが苦手というケースも少なくありません。
こうした子どもたちは、本来、一定の支援が必要であるにもかかわらず、教育現場や家庭では見過ごされがちで、生きづらさを抱えながら生活していることが少なくありません。
なぜ生きづらさを抱えているにもかかわらず、適切な支援がなされていないのかというと、「発達障害」や「知的障害」といったはっきりとした診断があるわけではないため、問題や課題が周囲に気づかれにくく、仮に気づかれたとしても、本人のやる気のなさや努力不足、としてとらえられてしまうことが多いのです。
この境界知能に該当する人は、グラフのように全人口の約14%います。
つまり、1クラスの人数が35人の場合、その中の約5人が境界知能に該当するという計算になります。
1クラスを例に挙げてみただけでも、これだけの人数の子どもたちが何らかの支援を必要としているにもかかわらず、はっきりとした診断がないために特別な支援の対象とはなっていないのです。
なお、知的障害の定義が「IQ70未満」となったのは1970年代以降です。
1950年代の一時期は「IQ85未満」であれば知的障害とされていました。
しかしIQ85未満にすると、知的障害のある人が全人口の16%もいることになり、これでは人数が多すぎて支援が追いつかないということで、IQ70未満に引き下げられたという経緯があります。
定義が変わったとしても、IQ70〜84の人たちが知的障害のある人と同様に、もしくはそれに近い生きづらさを抱えているのはまぎれもない事実です。
子どもたちは、具体的にどのように感じているのでしょうか。
境界知能の子どもたちは同じ年齢の子どもの知能の8割程度だと考えられています。
例えれば小学校6年生のクラスに4年生の子どもが混ざっているようなイメージなので、境界知能の子どもたちにとっては、通常のクラスの授業自体、ハードルが高いといえます。
また、境界知能の子どもたちの多くは、見る力や聞く力、見えないものを想像する力、といった認知機能(※)にひ弱さを抱えていることが多いです。
(※)認知機能:五感を通して得られた情報を整理して、様々な結果を作り出していく機能
「見る力」が弱いと、文字や行の読み飛ばしが多かったり、漢字が覚えられなかったり、板書が写せなかったりといった困りごとが生じます。
「聞く力」が弱ければ、先生が「算数の教科書の38ページを開いて5番の問題をやりましょう」と指示しても、その内容が聞き取れずに、周りをきょろきょろしたり、ぼーっとしたりして、周りの目には落ち着きのない不真面目な子どもと映ってしまうことも多いです。
さらに学習面での課題に加えて、認知機能の弱い子どもには、感情や行動のコントロールがうまくいかないといった「社会面での課題」や、運動や手先の不器用さといった「身体面での課題」が挙げられます。
こうした境界知能やグレーゾーンの子どもたちの問題は、本人のやる気や努力が足りないということではなく、能力的なことからきているといえます。
にもかかわらず、知的障害とは診断されないので、特別な支援が受けられないという現状があるのです。
境界知能やグレーゾーンの子どもたちは、勉強や運動、コミュニケーションなどに苦手意識のあることが多いので、そのことが原因で、自信をなくして被害的な意識を持つようになったり、思うようにならないイライラを怒ったり暴れたりといった不適切な行動で爆発させるようになったりすることもあります。
そして、そうした行動がますます周囲の偏見や誤解を生んでしまい、周りに理解してもらえないさみしさや孤独から、場合によっては非行に走ったり、犯罪に手を染めてしまったりすることも少なからずおきてきます。
このような事態になって苦しむ前に、周囲の大人が子どもたちの辛さに気がつき、適切な支援をすることが非常に大切なのです。
では、どうすれば周囲の大人はつらい思いを抱えている子どもたちに気づくことができるのでしょうか。
学習面でのつまずきは、気づきやすいポイントのひとつです。
境界知能の子どもは、小学校2年生くらいから徐々に周囲との差を感じ始めることが多いので、学習内容が抽象的になり論理的思考が求められる小学校4年生くらいになると、「勉強が全くわからない」「ついていけなくてしんどい」ということが目立ち始めます。
また、学習面以外でも、子どもたちは様々なサインを大人に対して発信していますが、そのサインはわかりにくいことが多く、単に「わがまま」「やる気がない」「不真面目」としてとらえられてしまいがちです。
そのような辛さを抱える子どもたちの小さなサインを見逃さずに気づてあげられることが学校や教師の役割だと思います。
辛さを抱える子どもたちのよくあるサインとして
・キレやすい
・あきらめやすい
・お腹が痛くなる
・嘘をつく
・忘れ物が多い
などがあげられます。
子どもが辛いと感じている小さなサインに気づき、その行動の背景に何があるのかを探ることは、子どもたちの支援には重要ですが、現実的には教師だけの力で探り当てるというのはハードルが高いと思われます。
学校や教師がそう言った行動の原因がどこにあるのかを判断する高いスキルが求められるということでしょう。
しかしそもそも多くの先生が教師になる際に、知的障害などの知識を専門的に学んでなどはいません。
特別支援学級の担任も、必ずしも専門の資格を持っているわけではないので、子どもたちを支援する教師の知識やスキルが圧倒的に不足していると言えるわけです。
これは先生方個人の努力の問題というより、制度的な問題だと思われます。
さらに問題を難しくするのは、子どもの出すサインは氷山の一角にすぎないということです。
目の前に見えているサインから、その根本的な原因がどこにあるのかを見つけるのは、専門的な知識を持った人でも、非常に困難だからです。
ならば学校以外の場所で、子どもたちのサインや、その行動の背景にある問題に気づくことはできないものでしょうか。
家庭でも、きょうだいがいると比較できるので親は何らかの違和感をキャッチしやすいのですが、そうでない場合は気づくのは相当難しいでしょう。
なんだかわからないけれど子どもがつらそうだと悩む親は数多くいます。
子どもの困りごとの背景にどんな問題があるのかを、敏感に素早く見極めることは確かに難しいのですが、学習面の問題、社会面の問題、身体面の問題、どのような問題に子どもが困っているのかにまず気づくことが、適切な支援を届けるための第一歩かもしれません。
学校は、子どもたちが一日の大半を過ごす場所です。
しかも、家庭と違って、集団生活の中でほかの子どもとの違いにも気づきやすいといえます。 また、境界知能やグレーゾーンの子どもが直面しやすい、学習面での困りごとも客観的に比較できる環境です。
そう考えると、辛さを感じている子どもたちにいち早く気づき、その子たちに手を差し伸べてあげられるのは、学校や教師しかいないのです。
また、学校に通っている間に適切な支援ができないと、その子どもたちは社会に出たときに、できない奴というレッテルを貼られてしまい、経済面や就労面といった領域でもより大きな問題を抱えてしまうことになります。
学校が子どもの感じている辛さに気づいて支援することは、その子の人生にとって極めて重要なことなのです。
もしも困っている子どもに気づいたときには、どのように支援すれば良いのでしょう。
教師に限らず私たち大人は、これまで努力して頑張って様々なことを達成してきたという成功体験があるため、誰でも頑張ればできると思いがちでです。
そのため困っている子どもにも無自覚に「頑張れ」「やればできる」という言葉をかけてしまいますが、境界知能の子どもをはじめとする「辛さ」を抱える子どもたちの問題は、必ずしも「頑張れば解決できる」というものではありません。
むしろ、「頑張れ」という言葉は、こうした子どもたちにとっては、より大きな負担となってしまう可能性があります。
では、「そのままで良い」「頑張らなくていい」という言葉がけならどうでしょうか。
「そのままで良い」「頑張らなくていい」という言葉がけが一概に間違いであるとはいいませんが、立ち止まって考えていただきたいのは、本当にその子が「自分はそのままで良い」と思っているのかということです。
境界知能の子どもや発達障害の子どもに限らず、困っている子どもたちの多くは「みんなと同じようになりたい」「自分だけができないのがつらい」と思っているのです。
そうした思いを持った子どもに、「そのままで良い」「頑張らなくていい」という言葉をかけてしまうと、適切な支援をすれば伸びていく子どもたちの可能性を、挑戦する前から潰してしまうことにもなりかねません。
今の時代、多様性の尊重が重視されていますが、子どもたちは、多様性を尊重する以前に、「みんなと同じぐらいであること」を強く求めています。
個性としての多様性の尊重は「みんなと同じ」がクリアになった上での、次のステップなので、大人が考える多様性の概念を子どもにそのまま当てはめるとズレが生じてしまうのです。
学校では「勉強ができるようになりたい」という思いをもつ子どもが多いと思います。
学習面の支援を考える上では、「見る力」「聞く力」「想像する力」といった、認知機能が非常に大切になってきます。
国語を例に挙げてみますが、認知機能の弱さがあると、情報を一時的に記憶する「ワーキングメモリ」がうまく働かず、文章を読んで理解したくても途切れ途切れにしか内容が頭に入ってきません。
また、長文を読んでいて途中でわからない漢字が出てくると、そこで集中力が途切れてしまい、文章の全体像を見失ってしまうことが多くあります。
このように、認知機能の弱さを抱えたままでは、教科の知識を積み上げることは非常に難しいのです。
さらに学年が上がるほど、読み解く文章は多く複雑になり、抽象度も上がっていくため、子どもたちのつまずきはますます増えていきます。
学習面のつまずきは、その土台である認知機能に原因があることが少なくありません。
ですから、教科の知識を積み上げる勉強よりも認知機能をトレーニングすることが、子どもたちの学習面でのつまずきを解消するのに効果的といえます。
宮口幸治先生の開発した、専門的な知識や技術がなくても実施することができる認知機能のトレーニングコグトレ 困っている子どもを支援する認知トレーニング122という教材があります。
1日5分、パズルやゲームのような感覚で、子どもたちが楽しみながら取り組むことで、認知機能の向上が期待できるトレーニングとなっています。
また、この「コグトレ」は、認知機能を構成する5つの要素に対応しているので、「コグトレ」の結果から、その子どもがどのような認知機能に課題があるのかを客観的に判断することもできます。
辛さを感じている子どもたちを支えていくためには、子どもの成長のゴールを「自立」とすることです。
教師や保護者、周囲の大人は「伴走者」に徹し、子どもに対して「これは違う」「こうしたら良い」と指示を出さずに、まずは子どもが自分で試行錯誤を繰り返しながらやってみる。 そしてどこかでつまずいたら、伴走者としてそばで「大丈夫だよ」と声をかけ、安心させてあげてください。
自分でやってみたいと思うのは、人間の本能です。
子どもの先回りをして手助けすることは、子どもの自立を奪うだけでなく、発達・成長の妨げにもなってしまいます。
伴走者として、子どもの意欲を尊重し、伸ばしてあげることが、困難を感じている子どもたちにとっての未来への希望につながるのではないでしょうか。
まとめ
「発達障害」や「知的障害」と診断されているわけではないけれども、やる気がなかったり、不適切な行動を起こしてしまう境界知能とグレーゾーンの子どもたち。
本来、支援が必要であるにもかかわらず、その「辛さ」に気づかれにくいために、見過ごされ、気づかれないまま成長することで、学校生活はもちろん、社会に出てからも生き辛さが増していきます。
子どもたちが出しているさまざまなサインを大人たちがいかに見逃さずに気づき支援していくかが重要な課題です。
境界知能とグレーゾーンの子どもたち
1日5分! 教室で使えるコグトレ 困っている子どもを支援する認知トレーニング122