例えば「お風呂に入りましょう」と声をかけても拒否されたり、おむつの取り換えのために近づくだけで怒らせてしったりすることが日常的に続けば、介護する側のストレスは非常に強いものになります。
こういった認知症介護において出てくる問題を人間関係として捉えて解決に導くのが、フランスから入ってきた新しい技術「ユマニチュード」です。
相手が認知症だから、と諦めるのではなく、良かれと思ってしていることが認知機能が低下した人にはちゃんと伝わっていないのかもしれない、という点に納得して行動することで、ケアを受ける人が穏やかになり、介護をする側も満足感を得られる技術です。
介護で一番大切なことは、介護を行なうときに、毎回、まず相手との良い関係性を築くことから始める姿勢です。
相手との関係をうまく結ぶことで、穏やかな介護を実現することができ、さらに結果的には介護にかける時間を短縮することができます。
介護を早く終わらせようとして相手にいきなり要件を切り出してもうまくいきません。
ユマニチュードではすべてのケアを1つの手順に従って行なっています。
この手順は5つのステップから構成されており
ステップ1「出会いの準備」
ステップ2「ケアの準備」
ステップ3「知覚の連結」
ステップ4「感情の固定」
ステップ5「再会の約束」
と名付けています。
ステップ名を覚える必要はありませんが、この5つのステップは、人間が社会生活を営むなかで「相手とよい関係を結びたい」と思うときには自然に行なっていることなのです。
それを介護を行うときにも明確に自覚することが重要です。
人間が社会生活を営むなかで「相手とよい関係を結びたい」と思うときの例として、知人のお宅に招かれ、食事をご馳走になることを挙げてみましょう。
例えば「美味しいカニをいただいたので一緒に食べませんか」とお誘いを受けたとします。
招かれたお宅に到着したらまず何をするでしょうか。
いきなりドアノブに手をかけ、扉を開けることはしませんよね。
チャイムを鳴らし、相手の応答を待っているとインターフォン越しに返事があり、ドアを開けてもらってから初めて、玄関の中に入ります。
玄関でも唐突に「カニを食べに来ました」とは言いませんよね。
「今日はお招きいただきありがとうございます」「お言葉に甘えて伺わせていただきました」と、あなたに会えてうれしい、一緒の時間を過ごせることを楽しみにしている、という言葉を述べるでしょう。
部屋に招かれても、いきなり「カニはまだですか?」とは言わず、「お元気でしたか?」と相手を気遣ったり、自分の近況を話すなど、相手と共に過ごす時間を楽しんでいることを表現します。
食事が始まってからも、無言で食べ続けることはないでしょう。
「美味しいカニですね」といった食事にまつわる話をしたり、共通の趣味の話題などの会話で楽しい時間を過ごすことと思います。
さらに、食事が終わったとたん「では、さようなら」と帰るのではなく、「今日はありがとうございました。次はわが家へいらしてください。ベランダから満開の桜が見えるので春になったらいらっしゃいませんか?」というように、次の約束を交わしながら、その日の楽しかった訪問をお互いに気持ちよく締めくくることでしょう。
介護も、知人宅を訪問することも、相手と良い関係を結んで、楽しい時間を過ごすという点で全く同じ手順を踏んでいきます。
相手のプライベートな領域に入って行くときには、必ずノックをします。
ノックの音は周波数の帯域が広いため、聴力が低下している人には、声よりもノックの方がより良く届く可能性が高くなります。
相手からの返事が期待できない場合でも、まずは部屋に入るときにはノックをしてください。
たとえ認知機能が低下していたとしても、ノックは「誰かが来た」ということを知らせる音、という記憶が脳には残っています。
ノックの音を聞くことで、「これから誰かに会う」という予測を相手にもたらすのです。
1.ノックを「トントントン」と3回行う
3秒待つ
2.ノックを「トントントン」と3回行う
3秒待つ
3.ノックを「トン」と1回行ってから部屋に入る
3回ノックをして、3秒待つ、という方法は、相手の覚醒水準を徐々に高めるための手法です。
3.まで行って返答がなくてもドアを開けて入室します。
それまでに返答があれば、もちろんそこで部屋に入ります。
もし、扉や仕切りのない場所に相手がいる場合や、部屋が和室の障子や襖であっても同じようにしてください。
壁やベッドの足下のボードをノックすることで、「誰かが来た」ということを振動で伝えることができます。
ステップ2「ケアの準備」
次は「あなたに会いに来た」というメッセージを伝える「ケアの準備」のステップです。
「介護をしに来た」のではなく、あくまでも「あなたに会えて嬉しい」という気持ちを相手に伝えなくてはなりません。
知人宅を訪問した話に戻すと、玄関で顔を会わせるなり、「カニを食べにきました」とは言わないように、まずは招いてくれたことへの謝辞を述べ、訪問できたこと、そしてあなたに会えたことへの喜びを表現することで、お互い良い時間を共有しながら食卓につきますよね。
つまり、この段階では「おむつを替えに来ました」「体を拭きましょう」「食事を持ってきました」といった「ケアの内容」を説明してはいけないのです。
このケアに入る前の準備にかける時間は20秒から3分です。
わずかな時間ですが、ケアを受ける方と良い関係を結ぶためには最も重要な要素だと言えます。
この「ケアの準備」の時間をとることで、ケアを受ける人の攻撃的な行動が70%も減り、ケアに対して協力的になってくれることが知られています。
ケアを受ける人のいる部屋に入ったら、正面から近づいていき、目と目を合わせます。
この時に重要なことは、これまで述べてきたユマニチュードの基本の柱(見る、話す、触れる、立つことを援助する)です。
もし、介護する人の存在に気づいていないようであれば、なるべく遠い位置から相手の視野に入るような場所に移動し、そこから近づいていくようにします。
視線は相手との目の高さを合わせて、できるだけ水平にして、目が合ったら2秒以内に話しかけてください。
無言で見つめると、相手に「自分が攻撃されている」と受け取られてしまいます。
認知機能が低下すると相手の表情を読み取ることが難しくなるので、わずかな微笑みでは相手に伝わらないことがあるため、表情を豊かに表現することも大切です。
少しオーバーかしら、と思うくらいの笑顔をつくり、「おはようございます」「今日も良い笑顔ですね」など、ケアの内容には触れず目を見続けて話しかけます。
声が大きすぎると威圧的なメッセージとして受け止められる可能性があるため、低めの落ち着いたトーンで話しかけるようにしましょう。
介護される人が目線をはずすようなら、その視線を捉えるために自分が移動します。
相手との適切な距離は、その方の認知の機能に応じて異なりますが、私たちにとっては「近すぎる」と思う距離でも、相手が嫌がってのけぞらなければ、それは適切な距離と考えて大丈夫です。
話をしながら、肩や腕、背中など、敏感ではない部分に、広く、やや重みをかけてやさしく触れます。
それから、実際に行ないたいケアについての導入を始めます。
ここでも、お風呂や着替え、食事などの具体的なケアの名前を言うのではなく、「さっぱりしましょう」「汗をかきましたね」「のどがかわきましたね。お茶でも入れましょうか」と別の言い方をしながら、同意を得る工夫をします。
仮にここで手を振り払われたり、顔をそむけたり、嫌だという意味の発言をされたりして、拒絶の言動が見られたときは、別の言い方を使って誘いなおし、3分間は同意を得るように工夫をしてみてください。
それでも同意が得られない場合は、一旦あきらめてその場を立ち去るようにしましょう。
合意の得られていないケアは介護を受ける者には強制であり、恐怖と不安しか残りません。
「あきらめる」ことは、介護を受ける者に対して「自分の要望を受け入れてくれる人だ」という記憶を残すための技術です。
その際には、「30分後にまた来ますね」というような「再会の約束」を行い、しばらく時間をあけて再チャレンジするようにしましょう。
◆「ケアの準備」のポイント◆
・正面から近づく
・視線をとらえ、目線をはずさない
・無言は厳禁。目が合ったら2秒以内に話しかける
・すぐにケアの話はしない
・触るのは肩、腕、背中。顔や手にはいきなり触れない
・3分間以内に合意が得られなければ、いったんあきらめる
ステップ3「知覚の連結」
ケアの合意が得られたら、いよいよ実際の介護に入ります。
ケアをしているときに「一生懸命話しかけている」「優しく触れている」「常に笑顔でいる」などを心がけているのに、ケアの途中から拒否の言動が始まってしまうこともあります。
これは、ユマニチュードの基本の柱「見る」「話す」「触れる」をどれかを単独で使っているときに起こりがちなことです。
「見るだけ」「話しかけるだけ」「触れるだけ」では、どんなに丁寧なケアをしても、「あなたを大切に思っている」という気持ちは伝わりにくいのです。
ユマニチュードのケアの特徴は、「見ながら、話しながら、触れる」といった同時性が重要なのです。
食事のシーンで「美味しいですね」と言いながら、相手の顔を一切見なかったり、笑顔だけれど「この料理、冷めていますね」などと批判したり、「美味しい」と言いながら、食器や食材を乱暴に扱ったりしていると、「本当に美味しい料理をいただけて私は幸せです」という思いを伝えることはできません。
マナーを守った食事の仕方、笑顔、美味しいという言葉、の3つが揃って、相手に喜びや感謝を伝えることができるのです。
ケアをする場面でも同様に、視覚、聴覚、触覚のうち、最低でも2つ以上の感覚に同時に働きかけるようにしなければ、相手にこちらの気持ちを伝えることはできません。
例えば「着替えましょうね」と優しく言葉をかけても、手首をギュッとつかんでしまうと、せっかくのポジティブな言葉かけによる聴覚刺激が、「つかむ」というネガティブな触覚によって「不快」「不安」「恐怖」の気持ちへと変換され、ケアを拒否するようになってしまいます。
また、どんなに笑顔でケアをしていても、「動かないで、って言ってるのに勝手に動くんだから」「あ〜、また洗濯物が増えたじゃない!」などとといったネガティブな言葉を発信してしまうと、仮に相手が言葉を理解できなくなっていたとしても、そのネガティブな思いが伝わり、ケアを受けている人は心を閉ざすようになったり、あるいはケアしてくれる人に対して否定的な感情を持つようになります。
つまり、優しく穏やかなケアをすることを目標にするのであれば、相手の五感すべてに対して、優しく穏やかな感覚が届くようにする必要があるのです。
認知機能の低下している人にとっては、五感から入る情報にひとつでもネガティブなものが含まれると、受け取っているメッセージに矛盾が生じます。
私たちは自分が常に、言葉によるメッセージと言葉によらないメッセージを常に発していることを留意し、そのメッセージが矛盾したものにならないようにすることが、最も重要なことなのです。
なかには、著しい認知機能の低下があると、「見る」「話す」「触れる」を2つ以上同時に行っても反応がない方もいます。
ケアしている人からすれば、何を言っても、どんなに笑顔でも「伝わっていない」「やっても無駄」と思われるかもしれません。
しかしそれはケアする側の勝手な決めつけに過ぎず、たとえ反応がなくても、ケアをする際には、これから行うケアを言葉に出して笑顔でいてください。
「これから背中を拭きますね」「温かいタオルが触れますよ」「気持ちいいですか?」といった言葉かけを、笑顔で発していくことだけで「大切にされている」「人と人の関わりである」ということを五感で感じてくれるものなのです。
言葉による反応がなくても、筋肉の緊張がほぐれたり、ゆっくり呼吸をするようになるなど、ケアを受けている方からのメッセージも、実は沢山私たちは受け取ることができます。
相手からもいろんなメッセージを鋭敏に受け取れるようになることが、ユマニチュードのケアのゴールのひとつです。
◆「知覚の連結」のポイント◆
・「見る」「話す」「触れる」を同時に2つ以上行う
・五感で伝わることは、すべてをポジティブで同じ意味を持つものにする
ステップ4「感情の固定」
介護を担う人が、ケアを終えたときに「お疲れさま」と、ケアを受けている人に言っている場面をよく見かけます。
病院や介護施設だけでなく、在宅介護でも、おむつ交換や着替えを終えると「お疲れさま」と何気なく行ってしまうことがあるでしょう。
心地良い時間を過ごした後に、「お疲れさま」ということは、日常生活ではあまりないことです。
お互いにケアを通して心地良くとても良い時間を過ごしたはずなのに、最後に「お疲れさま」という言葉で終わるのは少し違和感がありませんか。
ユマニチュードではケアの終わりに、気持ちよくケアできたことをお互いに確認し、次のケアにつなげる「感情の固定」のステップを大切にしています。
認知症の方は、次にケアに訪れた時、前回のケアのことも、ケアをしてくれた人のことも忘れてしまっているかもしれません。
たとえ認知機能が低下していても、判断は脳の感情記憶を通して行うので、「この人は嫌なことをする人だ」という感情は覚えているものなのです。
そこで必要になるのが、以下の感情をしっかり確認しあうことです。
例えばシャワーを浴びた時の例を示してみましょう。
●今回のケアをポジティブに確認する:「シャワーを浴びて気持ち良かったですね」
●ケアに協力してくれたことを感謝する:「たくさん協力してくださりありがとうございました」
●ケアをしたことでよかったことを述べる:「さっぱりして、ますますお肌がツヤツヤ、おきれいですね」
●共有した時間によってこちらが幸せになったことを感謝する:「楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます」
これによって、ケアする人とされる人に絆が生まれ、次回のケアをスムーズなものにさせてくれるのです。
ステップ5「再会の約束」
施設などで他人の介護の場合ならまだしも、身内の介護で「再会の約束」をするのは、最初は照れくさいかもしれません。
しかし、認知機能の低下している方には「今、優しく接してくれた人が、また会いに来てくれる」という喜びや期待の感情を記憶に残すことが大切なのです。
口頭での約束だけではなく、ベッドの横にホワイトボードやメモ帳を置いて「7時にまた、会いに来ます」などと書き留めておきます。
だれが書いたかを忘れてしまったとしても「優しい人が会いに来てくる」という約束を何度も目にし、楽しみにしてくれるようになります。
まとめ
相手が認知症や介護を受ける身である、と考えると、介護をする側はどうしても「してあげている」という一方通行のコミュニケーションになりがちですが、実は、相手からは常に返事が自分に向けて発されているのです。
これは、互いに良い時間を過ごしていることを相手が知らせてくれている、いわばケアをしている方への贈り物です。
相手からの贈り物をうけとることができるのも、実はケアの技術にひとつで、これによって互いに良い関係を結ぶことができるようになります。
もちろん、いつも100%うまくいくわけではありませんが、この5つのステップを意識的に行なうことで、いつもと違う変化をご経験になる方は少なくありません。
ケアの技術として、ぜひ活用してみてください。
次回は、介護にはまだ携わっていない方にも活用できる「ユマニチュード」の技術についてお伝えします。
家族のためのユマニチュード: “その人らしさ"を取り戻す、優しい認知症ケア