このコロナ禍のご時世では、やはり「健康でいてほしい」でしょうか。
しかしコロナ禍前には、どうすれば賢い子になるのか、勉強ができるようになる方法はあるのか?と考える方も多かったのでは?
確かに先の見えない時代、我が子にはしっかりと学歴をつけて将来に備えてほしいと考える気持ちもわかります。
しかし勉強ができたから人生が豊かになるわけではありません。
人間には必ず、向き・不向きがあるからです。
今回はそんなお話をしてみたいと思います。
確かに勉強が全てではないとは言うものの、いくらあっても困らないのが「お金」と「学歴」でしょう。
しかし本当に「お金」と「学歴」があれば幸せになれるのでしょうか。
「賢い子に育てる」ということは、イコール「お金」と「学歴」をつけさせることなのかを考えてみましょう。
子どもに必死に勉強をさせて、有名進学校から有名大学に合格させる、または、幼稚園、小学校から大学まで一貫教育している進学校に入学させるのは、学歴をつけるには有利かもしれません。
しかしそれは本当に子ども自身が望んでいることなのでしょうか。
そもそも論として、自分の子どもが勉強に向いているかどうかを判断しなければいけないと思います。
何事も向き・不向きがあります。
義務教育だけで9年、その前の幼稚園・保育園や義務教育後の高校・大学を含めると、子どもは20年近く勉強し続けなければならないことになります。
高校や大学は子どもの進みたい道が見えているのであれば、その道に近づける学校に入ることを考え、子どもにとって学びが辛いものではなくなるかもしれません。
しかし勉強に向いていない子に20年近き長い時間、無理やり勉強させたところで、たいした成果は期待できず、親も子どももストレスが溜まりおかしくなってしまうでしょう。
昔、いわゆる「教育ママ」の知り合いがいました。
子どもが幸せになるためには、小さいころから親が勉強をさせなくてはいけないと信じている方でした。
子どもの幸せのためだから、と幼稚園のお受験のために赤ちゃんの頃からそれこそ一生懸命でした。
子どもも中学校ぐらいまではママの教えに従って、嫌々ながら勉強して、それなりの成績をあげていたのですが、高校生になったころから次第に親の言うことなど聞かなくなりました。
むしろ今まで勉強を強制されていた反動なのか悪い友達と付き合うようになり、すっかりグレてしまいました。
こうなると家庭内の荒れようはものすごく、もう勉強するとかしないとかの次元での話じゃなくなりました。
彼女の子どもはたぶん勉強には向いていなかったのでしょう。
勉強が嫌いな子どもに無理矢理勉強をさせるのは絶対にオススメしません。
別に勉強に向いていなくてもいいんです。
勉強以外の才能を何か一つ持っているのですから。
それを一緒に探していくのが親の役目だと思います。
世の中、勉強が全てじゃないのです。
それは小学校に入学してから家でも特に勉強せず、もちろん塾にも行かずに、テストで当たり前に100点がとれるかどうかです。
要するに小学校の教室の授業だけで、学んだ内容を吸収して完結できる子どもかどうかということです。
小学校時代に基本的に満点をとっている子は、勉強に向いている子どもだと言えるでしょう。
なぜなら、日本の学校教育は国民全体の学力を底上げすることを目標にしているので、平たく言えば、学習内容のプログラムは勉強ができない子向けに作られていると言えます。
勉強ができない子でも最低限の読み書きができるようにすることが目標なので、一部の天才にとっては非常に物足りない内容なのです。
だから小学校の授業についていけないのであれば、勉強に向いているとは言えないのです。
もう一つの判断基準として、小学校高学年になったら「日能研」などが開催している公開模試を受けてみるといいでしょう。
自分の子どもが全国でどのぐらいのレベルに位置しているのかがおおよそわかります。
模試の成績が全国で上位に入り、進学校への受験を子ども自身が望んでいれば、真剣に検討すればよいと思います。
子どもの学力や体力も、親のあなたと同じぐらいと考えておいた方が良いです。
あなた自身が学生時代にそれほど勉強が得意でなかったのなら、子どもの学力に過度の期待をするのは可哀想というものです。
もちろん例外はあるでしょうが、ことわざにあるように基本的には「蛙の子は蛙」なのです。
鳶が鷹を生んだり、鷹が鳶を生む可能性はとても低いことだと考えておいたほうがよいでしょう。
勉強できても、できなくても、親が子どもにできることは、「子どもに選択肢を提示すること」です。
親から見て、子どもに可能性を感じる様々な選択肢を提示して、その才能を発掘・開花させてあげることに心を配りましょう。
もちろんその中に「勉強」というものがあれば、それはそれで良いし、勉強の才能がないなら別の才能を伸ばしてあげれば良いのです。
100人いれば100通り。
人生の道はひとつではないのです。
そして「学ぶ」ことの「楽しさ」を子どもに教えることが、親としての義務のひとつだと思います。
「学ぶ」というのは学校の勉強だけではありません。
子どもが発する好奇心を親がキャッチして、その好奇心を学んで満たせる提示をしてあげてください。
「学ぶ」のは「楽しい」ことです。
自分が知らなかったことを知り、わからなかったことがわかり、知的好奇心が満たされると脳は活発に動き出します。
どんな子どもでも何かしらの好奇心を持っているはずです。
学習のトリガーは日常の様々なところに転がっています。
ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の存在に気づき、アルキメデスはお風呂の湯が溢れるのを見て、アルキメデスの原理のヒントを得たと言われています。
勉強は遊びの中にもたくさんあります。
日常の全てが勉強の場であることを、親であるあなたが教えてあげましょう。
「知識とは、天に飛翔するための翼である。」- シェイクスピア -
まとめ
学校では、勉強=座学=苦痛になりがちです。
本当は楽しいはずの、学ぶ好奇心が苦痛に変ってしまうのは悲しいことです。
子どもは親に対して質問攻めにする幼児期があります。
「どうして○○なの?」
「なぜ○○なの?」
このとき「自分で考えろ!」「くだらないことを聞くな!」と叱りつけたり、答えを教えてしまってはいけません。
子どもが質問してくるときは、思考力が養われている瞬間だと思って、耳を傾けて一緒に考えることが子どもの知的レベルの向上に繋がるのです。
ぜひ学ぶ楽しさを、体験させてあげてください。