当時54才の彼が、人生で最も後悔したことを話しながら、人生において大切なことを語っています。
彼のスピーチは、世界中で瞬く間に共感され、非常に大きな感動を呼びました。
ここまでよくがんばりましたね。
さて突然ですが、歳をとってから、私はよく「人生を振り返ってみて後悔することは何ですか?」と聞かれるんです。
私は、何を後悔しているのでしょうか?
お金を貯めてこなかったことでしょうか?
いえ、これは後悔していません。
スマトラの川で裸で泳いでいてなんだか騒がしいなと思って見上げたらパイプの上に300匹ほどの猿がすわって川にむかってうんちをしているのを見てしまったことでしょうか?
しかも、私がおもいっきり口をあけて、飲んでしまったから、その後病気になり7ヶ月間もずっと具合が悪くなってしまったのです。
いえ、その時のことでもありません。
度々あった、恥ずかしい出来事でしょうか?
例えばホッケーの試合で、好きな子の前でドジをして、嫌われてしまったこと?
いや、これすらも私は後悔していません。
私が一番後悔していることは、これです。
7年生だったとき(日本では中学1年生)、1人の転校生が来ました。
個人の秘密のためにこのスピーチでは彼女のことをエレンと呼ぶことにします。
エレンは小さくてシャイな子でした。
彼女は、当時、年を取ったおばあちゃんしか使わないような、メガネをかけていました。
緊張すると自分の髪の毛を噛むクセがあり、そんな彼女は、周りからいじめられていました。
彼女が傷ついているのは目に見えてわかっていました。
彼女の表情をいまでも思い出すことができます。
彼女はできるだけ透明になろうとしていました。
少しすると彼女は一人でいるようになりました。
そして、彼女は、引っ越しました。
それでおしまい。
なんの悲劇もドラマもなし。
彼女はある日突然やってきて、それで突然いなくなった。
それで話しはおしまいです。
さて、なぜ私はこれを後悔しているのでしょうか?
42年もたった今、なぜ私はまだ彼女のことを考えているのか?
他の子たちと比べて、私は彼女にやさしい方でした。
私は彼女にひどいことは一切言わなかったし、実際、ときには(温和に)彼女を守ることさえしました。
それでも、人生の中で最も後悔しているのです。
少し安易に聞こえるかもしれないし、実行するには難しいかもしれないけど、皆さんには人にやさしくなるというのを人生のゴールにしてみてはいかがかと思うのです。
ここで一つ、大事な質問をしたいと思います。
どうして私たちは、優しくないのでしょう?
わたしたちの何がいけないのでしょうか?
私の答えは3つあります。
1.私たちは宇宙の中心であると思っているから。(つまり自分の個人的な話が一番大事で面白くて、自分の人生のことしか考えていない。)
2.私と私以外のものは、切り離されていて、別のものになってしまっているから。
3.私たちは永久に生きると思っているから。(死は確実に訪れますが、まだ自分には関係ないと思っている。)
私たちは、知らず知らずに人の欲求よりも自分の欲求を満たそうとします。
もっともっとやさしい人になりたいにもかかわらず、そうしてしまうのです。
さぁここでもう一つ、大事な質問をします。
どうやったらもっとやさしい人になれるのでしょうか?
これに対する答えは、やさしさは年をとることで、自然に身につくものだと思っています。
私たちは年をとるにつれて、自分勝手でいることがどれだけ無意味なのか、実際にどれだけ非論理的なのかに気がつくのです。
自分の身近で大事な人たちがいつのまにか立ち去っていってしまっているのに気がついて、それでいつの日か自分もそうやって立ち去っていくんだろうな、ということを徐々に自覚し始めます。
ほとんどの人は年をかさねていくごとに、自分勝手でなくなり、人を愛するようになります。
シラキュースの偉大な詩人、ヘイデン・クルース(Hayden Carruth)は彼の人生の最後のほうに書いた詩のなかでこう言っています。
「人生の最後は、ほとんど愛になった」
私が皆さんにしたい心からのお願いです。
年をとるにつれて、あなたの自身の存在は減っていき、愛に生きていくようになるでしょう。
あなたという人が、愛によって徐々に置き換えられていくのです。
子供をもつことになったら、自分に何が起こるのかなんて気にしなくなるものです。
私たちは誰だって、若いときは不安でいっぱいです。
成功できるのか?
自分で人生をつくり上げていくことができるのか?
高校でいい成績をとるのは、いい大学に入ろうと思うから。
それでいい大学でいい成績をとれば、いい仕事につけるでしょう。
そしたら仕事でいい成果をだして、、、、と続いていきます。
別にこれは悪いことじゃありません。
我々がもっとやさしくなっていくのだったら、その過程にはなにかを実際にやる人として、成し遂げる人として、夢見る人として、自分と真剣に向き合う時間がないといけないから。
成功の定義は絶え間なく変わっていきます。
成功というのは、ハイキングの途中、山がもっと大きくなっていくようなもの。
自分で考える目標ではなく、成功とは他人からの評価なので限りがないのです。
そして知らない間に「成功すること」に私たちの人生すべてが食い尽くされてしまう。
成功の定義は絶え間なく変わっていくけれど、人にやさしくする価値は普遍的に変わらないものです。
私が先ほど述べた通り、あなたの人生は徐々に親切でやさしい人になるのだから、急ぎなさい。
スピードアップするのです。
いまこの瞬間から始めて欲しい。
私たちは誰でも、最初は自分勝手です。
少し必死に、自分自身の患者になってみるといい。
これから先の人生を、活力を持ってやさしさをみつける旅に飛び出してほしい。
そのためにはたくさんのことをすること。
野心のあること、旅、金持ちになる、有名になる、革新する、リーダーになる、恋に落ちる、富豪になってそれからどん底に落ちる、ジャングルの川で野生的に裸で泳いでみる(猿のうんちの味を確かめてみないと)。
さまざまなことに挑戦し、そして失敗してさまざまな人と関わることで、やさしさをスピードアップすることができます。
そしていつの日か、これから80年後とか、あなたは100歳で私は134歳。
そして、私たちはもうほとんどお互いに耐えきれないほどどちらもすごくやさしくなったら連絡してくださいね。
あなたが「私の人生はものすごくいいものだったし、人生はいいものだよ」と言ってくれていることを願っています。
最高の人生を生きて、みなさんがやさしい人になることを願っています。
今日は、ありがとうございました。
まとめ
彼の話をまとめると、
1.人生最大の後悔は、やさしくなれなかったこと。
長い人生を生きてきて、一番後悔したことは、目の前で苦しんでいる友だちを助けることができなかったこと。
2.年齢とともに、人間はやさしくなる。
特別にがんばらなくても、人は年を重ねる毎に自然に優しい人になっていく。
年をとり、多くの人と関わり、大事な家族をもつにつれて、自分勝手さを失って愛にかわっていくもの。
3.「成功する」ことにこだわらずに、いろいろなことに挑戦しよう。
私たちは歳を重ねれば必ずやさしい人になれるのだから、スピードアップするといい。
いろいろ なことに挑戦して、あなたに一番合ったやさしさを見つけよう。
ということでしょうか。
私の人生にあてはめても、20代は自分のことだけで精一杯でした。
「自分さえよければ、他人はどうなってもいい」という心(我利我利)がしめていた気がします。
「相手の幸せを願って行動することが、自分の幸せになる」という自利利他(じりりた)の心が自分に増えていくようにこれからも生きていきたいと思います。
神さまとお話しした12通の手紙