状況や条件によって意味が変わってしまうものは普遍的な価値ではありません。
お金や仕事は人間が幸せになるためのツールにすぎないのです。
他人のために何かをすることによって、自分も恩恵を受けることができるのです。
これはどんな条件によっても変わることがない普遍的な価値です。
今回は『「天国」と「地獄」の長い箸』というお話から、普遍的な価値について考えたいと思います。
そして「天国」でも「地獄」でもまるいテーブルを囲んで食事をします。
「天国」と「地獄」では、食事の時に背丈ほどもあるとても長い箸でご飯を食べなければならない、という決まりがあります。
食事の条件は、天国でも地獄でも全く同じです。
食事がはじまりました。
地獄にいる人は一生懸命食べようとするのですが、箸があまりにも長すぎて思うように食べ物を自分の口に入れることができません。
イライラして必死に自分の口に運ぼうとすればすればするほどうまくいかず、食べ物は下に落ちるばかりです。
そのため地獄にいる人達はいつまでたってもおなかいっぱいになれず、ずっとお腹が空いて苦しいのでした。
一方天国にいる人達は、その長い箸で食べ物をつまむと自分の前に座っている相手に向かって差しだし、「あなたからどうぞ」と相手の口元に自分の箸を運ぶのでした。
テーブルを囲むお互いがみんな同じように「あなたからどうぞ」という箸の使い方をしています。
自分のために使うのではなく、誰かのために働かせる箸をみんなが持っているのでした。
誰かのために自分を働かせることによって、相手もまた自分のために働いてくれる。
天国ではそういうことが自然に行われていました。
ですから天国にいる人達はいつもおなか一杯で幸せなのでした。
人を幸せにし、また人に幸せにしてもらうのが天国。
自分だけ幸せになろう必死になり、結局苦しむのが地獄。
実はただそれだけの違いなのです。
自分さえよければいいという心がけでは、地獄の食事風景のように、周りの人も自分自身も損をするだけ。
だからこそ、自利利他の心がけが大切ですよ、というのがお釈迦さまの教えです。
自利利他とは、「相手の幸せを願って行動することが、自分の幸せになる」ということです。
天国の住人のように、相手がまず空腹を満たせるように行動すれば、そのお返しにと自分も空腹が満たされます。
そのように、自分も相手も幸せにする心がけが自利利他なのです。
これは二宮金次郎の像で有名な二宮尊徳の言葉で、次のような内容です。
「風呂に入って、温かいお湯を自分の方に寄せようとかき集めると、自分の脇をすり抜けて向こうへ行ってしまう。
逆にお湯を前へ押し出すようにすれば、壁にぶつかってこちらに返ってくる」
お金や物に恵まれている人は、自分自身の懐にためこもうとするのではなく、まず進んで他人に与えているのです。
人に与えることで、それが回り回って自分に返ってくる、自利利他の心がけです。
しかし、先に他人にあげられるほどお金や物は持っていない、という人もいるかもしれません。
私も決してお金に恵まれているとは言えないですが、お釈迦さまの教えでは、どんな人でも施せるものがあります。
それが「無財の七施(むざいのしちせ)」です。
【1.眼施(げんせ)】
優しい温かいまなざしで周囲の人々を明るくすること。
【2.和顔悦色施(わげんえっしょくせ)】
優しい笑顔で人に接すること。
【3.言辞施(ごんじせ)】
優しい言葉をかけること。
【4.身施(しんせ)】
肉体を使って他人のため、社会のために奉仕すること。
【5.心施(しんせ)】
心から感謝の言葉を述べること。
【6.床座施(しょうざせ)】
場所や席を譲り合う親切。
【7.房舎施(ぼうしゃせ)】
訪ねてくる人、求めてくる人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうこと。
お金や物でなくても他人に対してできることはあります。
まとめ
人間はいつも心の中に長い箸を持っていて、それぞれの使い方をしているのかもしれませんね。
「自分さえよければ、他人はどうなってもいい」という心(我利我利)を捨てて、「相手の幸せを願って行動することが、自分の幸せになる」という自利利他(じりりた)の心を持って毎日を過ごしていきたものです。
神さまとお話しした12通の手紙