人間は1年にひとつずつ、確実に年を取っていきます。
自分も親も家族も。
いえ今この世に生きている人間はみなそうです。

若い時には頭の片隅にもなかった「親や家族の介護」。
産休と育休を除いて、ずっとフルタイムで働いてきた私にとって、仕事を持って働きながら家族の介護をする現実の過酷さは想像以上のものでした。
今回は精神的にも体力的にも限界がきて「介護離職」してしまった私が体験をお話ししたいと思います。




介護離職の背景


2018年に総務省が公表した「就業構造基本調査結果」によると、日本国内で介護をしている人は約628万人と試算されています。
このなかで仕事を持っていると答えた人は約346万人にのぼり、6割近い人が働きながら介護を行っている状況です。
一方、過去1年間に「介護・看護のため」に仕事を離職した人は約9.9万人。
これは同じ期間に離職した人理由の中で1.8%に当たります。
この調査は5年ごとに実施され、前回の2013年調査では、同じ理由で離職した人が約10.1万人いました。
数としては若干減っているものの、ほぼ年間10万人近い人が介護を理由に離職を選択していることになります。
また、厚労省が公表している「平成28年国民生活基礎調査」によると、介護者と要介護者が同居している割合は全体の57.8%で最も多く、介護者の年齢分布をみていくと50代が約2割、60代が約3割、70代以上も4割近くを占め、50代以上でほぼ9割を占めていることになります。

母とは同居していたし、介護が具体的に始まったのは50代に入ってから。
介護と仕事の両立が難しくなり離職したのも同じ。
私はまさしく日本の介護離職のモデルだったな、と改めて感じています。




介護離職のメリット・デメリット

もちろん仕事を続けながら介護が出来るのであれば、私もそうしたでしょう。
しかし、家庭内での家族介護が難しくなり行政のサービスに頼るようになると、さまざまな時間に縛られることになります。
要介護認定の準備、デイサービスの送出しやお迎え時間、病院への付き添い、ケアマネージャーさんとの介護方針の打ち合わせ等々、どうしても要介護者(母)の生活リズムに介護者(私)が合わせていくことになります。
そうなると職場を途中で抜けたり、遅刻・早退をして時間を作らなければならない。
前職の会社は介護休暇の制度がなく、フルタイムで仕事をしながら終わりが見えない介護を抱え続けられるか不安で、自分が潰れてしまってはどうにもならないから、と離職を選んだのです。

さて、では実際に介護離職した場合、どんなメリット・デメリットがあるのか、データから見てみましょう。

少し古いものですが、2012年度に実施された「仕事と介護の両立に関する実態把握のための調査研究事業報告書」によると、離職した最大の理由は「仕事と介護の両立が難しい職場だった」ことで、男性62.1%、女性62.7%と約6割を占めています。
他の理由としては「自分の心身の健康状態が悪化した」「自身の希望として介護に専念したかった」などが上位に挙がっています。

私もまさしく上記の理由がすべて当てはまり、勤めていた会社に介護休暇制度がなかったこと、仕事と介護のはざまで心身のストレスが強かったこと、母の介護を後悔することなく精いっぱいしたい気持ちが離職につながりました。

介護離職をするメリットとしては
「心身の負担の軽減」
「介護費用の軽減」
「介護に専念できる」

反対にデメリットとしては
「収入の減少」
「好きな仕事を続けられない」
「自分の自由な時間が確保できない」

また、デメリットの事例にもあるように、離職時に就業継続の意向を聞くと、男女ともに5割強が「続けたかった」と回答しています。
私も同様でしたが、多くの方が離職した会社の職場環境では介護と仕事が両立できず、仕事を辞めざるを得なかった切実な状況がうかがえます。




離職の誤算

普段、多くの要介護者やその家族と接する機会の多いケアマネジャーにお聞きすると「介護離職しても窮状が劇的によくなる方は少ない」と言われます。
先の調査によると、介護離職することで介護者の心身あるいは経済的な負担が軽減できると思われていたのが、実際には半数以上の方が「精神面」「肉体面」「経済面」で、離職後に負担が増したと回答しています。
さらに仕事を辞めて収入が減ったことで、体力的にも精神的にもストレスが貯まっていきます。

私の場合、働くこと自体をやめるつもりはなかったので、離職後すぐに母の介護に差し障らない仕事をハローワークに探しに行き、ハローワークと企業の面接時に前もって介護者であることを説明して、納得してもらった企業で働くかたちでパートとして勤務しながら介護する手立てを講じました。
私自身の心身のストレスや時間的な縛りはクリアできましたが、離職で収入が今までの半分以下になったのが経済的にとても痛かったです。
正社員から離職したので、家計への収入が減るのは明らかで、毎月赤字になるのを覚悟のうえで離職したわけです。
当時は終わりの見えない介護と収入激減を天秤にかけて、収入激減を選択せざるを得ないほど疲弊していました。

介護離職を考えている方はやめる前に収入全体が想像以上に減ってしまうということをきちんと理解して覚悟をしておくべきです。
いつ終わるか予定の立てられない介護生活は、ライフプランを明確に立てること自体簡単な事ではないとわかりつつ、やはり介護離職後の生活プランを明確にしないまま離職してしまうのは危ないな、と今になって思うのです。



まとめ

今回の記事はお役に立ちましたでしょうか。

介護離職をしないためには一定の年齢になったら親やパートナーがまだ元気だと過信せず、要介護や認知症などのサインが出ていないかチェックすることや、住んでいる地域の介護情報などをリサーチして、必要になった時にすぐに対応できるようにしておきましょう。
私は1年半前に母を見取りましたが、介護離職後に就いたパートの仕事を今も続けています。
仕事は楽しいのですが、やはりネックは収入です。
家計経済の危機は母を見取った後も続いています。
もう一度正規雇用で働きたいと考えても年齢やコロナの影響もあるのか、希望通りの仕事に出会うこともままなりません。
根が楽天家なので「人生、何とかなるさ」と、介護離職したことは納得していますが、自分の人生がまだ何十年も続くということをもう少し見据えておく必要があったな、と言う部分では甘さがあったと反省しています。
心身共に疲弊していると、つい目先の楽になれるだろうことを選んでしまいます。
しかし仕事を続けながら楽になれる方法が、もしかするとまだあるかもしれません。
離職は最後の最後にとっておき、離職以外の楽になれる手段をとことん探してみることが大切だと思います。

筆者プロフィール

こらっと

大阪生まれ。団体職員兼ライターです。
平日は年季の入った社会人としてまじめに勤務してます。
早いもので人生を四季に例えたら秋にかかる頃になり、経験値は高めと自負しています。
このブログがいきいき生きる処方へのきっかけになれば幸いです。

お問合せはこちらで受け付けています。
info.koratwish@gmail.com


海外からの人材受け入れ団体職員として働いてます。
遡ると学生時代のアルバイトでアパレルショップの売り子から始まり、社会人となってから広告プロダクションでコピーライターとして働きました。
結婚・出産を経て、印刷会社のグラフィック作業員として入社。
社内異動により⇒画像・写真加工部⇒営業部(営業事務)⇒社内システム管理者と、いろんな部署を渡り歩きましたが、実母の介護のためフルタイムでは身動きが取れなくなり、パート雇用として人材受け入れ団体に時短勤務転職しました。

2019年実母が亡くなり、パートを続ける理由がなくなったため物足りなさを感じる毎日でしたが、年齢の壁など一顧だにせず(笑)再びフルタイムで働きたい!と就活し続けた結果、別の人材受け入れ団体に転職しました。
責任も増えましたが、やりがいも増えました。

デスクワーク経験が長く、Office関係の小ワザや裏ワザ、社会人としての経験を共有できれば幸いです。

家族構成は夫がひとり、子どもがひとり
キジ猫のオス、サバ猫のメスの5人家族です。

趣味は、読書、語学学習、ホームページ制作などなど
好奇心が芽生えたら、とにかく行動、なんでもやってみます。

猫のフォルムがとにかく大好きで、
神が創造した生物の中で一番の傑作だと思ってます。
ちなみに「こらっと(korat)」は
タイ王国のコラット地方を起源とする
幸福と繁栄をもたらす猫の総称です。




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