神経症〈1〉その理論と治療 (フランクル・セレクション)
セラピーですから施術として心理的な不安や恐れなどを抱いているクライエントに治療を施すのですが、その代表的なものに「逆説志向」(paradoxical intention)と「反省除去」(dereflexion)があります。
今回は、その中の「逆説志向」について書いていきたいと思います。
フランクルは、人間の心身を超越する精神的な次元でクライアントと出会い、精神的な力を強化することによって、初めてその人の生き方全体の癒しが可能になることを発見し、この新しい心理治療の方法を「ロゴセラピー」と名づけましたが、フランクル自身、ロゴセラピーの心理治療としてのハウツー的な著作はほとんど残していません。
しかし、フランクルが用いたロゴセラピーのハウツー的な手法として「逆説志向」というものがあります。
人前での発表、クライエントへのプレゼン、結婚式のスピーチなど、大人数の前で話す機会がおきた時、「緊張しないように、しないように」と思えば思うほど、顔が赤くなったり手が震えてきたり頭が真っ白になったりして、自分の意志とは無関係に緊張の度合いは強くなり、聴衆を前にして話すことに苦手意識を持っている人は多いと思います。
また、一度でもひどい失敗を人前やプレゼンの場でしてしまうと「あの時のような失敗はしたくない。もうやりたくない」と、再びその状況になる想像をするだけで、ドキドキと体が熱くなったり冷や汗が出てきたりします。
そして、「次も同じ失敗をするんじゃないか」と思うだけで不安になってしまうのです。こうした不安感を先に感じてしまうことを「予期不安」といいます。
大切なプレゼンを控えていれば、「うまくいくかな?」と不安を感じることは、誰にでもありますが、ほとんどは「まあ、なんとかんなるだろう」と気持ちを切り替えて、プレゼンに向かうことができています。
しかし「予期不安」を意識すればするほど、「さらなる不安」がわき起こり、心が不安に支配され、プレゼンの準備ができなくなったり、一睡もできなくなったり、プレゼンそのものから逃げてしまおうと考えたりしてしまいます。
この経験がまた「予期不安」を呼び起こす原因になり、次々と自ら「負のループ」をつくり出していくのです。
予期不安が強くなりすぎて、実際に日常生活に支障が起きることもあります。
このループを断ち切るために、フランクルは「逆説志向」という考え方を提唱しました。
「逆説志向」は、「緊張しないように」と望むのではなく、むしろ「もっと緊張しろ、もっと緊張してやれ」と、自分が恐れている状況を自ら志向します。
「そうなってほしくない症状」を、逆に「もっとそうなれ」とユーモアをもってあえて望むことで、自らの不安や緊張と距離を保つことが出来るようになり症状を軽くする心理療法なのです。
ある日、彼は上司と握手した時に、自分がものすごく汗をかいていることに気づきました。
その時以来、「またひどい汗をかくのではないか」と「予期不安」にとらわれると汗が流れてきます。
汗をかくのでないかと、考えるだけで冷汗が流れるようになってしまったのです。
この医師は4年間、発汗恐怖で苦しんでいました。
汗をかいてしまう自分にばかり意識が向いて、目の前にいる人の話がまったく耳に入らなくなり肝心のことを聞き逃したりして、仕事のミスにつながることも考えられますし、日常生活に支障が出てきてしまいます。
そこでフランクルは「逆説志向」を試みるため、若い医師にこう助言しました。
「今度発汗が起こりそうになったら、思いきって、自分はどれほどたくさんの汗がかけるかをひとつみんなに見せてやろうと心に決めてください」
若い医師は「汗をかく恐れ」から逃げようとしていましたが、フランクルは汗をかくだけではなく、大量に汗をかいてそれを「みんなに見せてやろう」と、大げさに望むことを助言しています。
ここがユーモアのポイントです。
それから1週間後に訪れた若い医師は、予期不安が起こりそうな人に会う時に、自分にこう言い聞かせているのだと、フランクルに報告しました。
「これまではたったの1クォート〔約1.4リットル〕しか汗をかかなかった。しかし今度はせめて10クォートは汗を流してやるぞ」
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
この結果、若い医師は、1回の面接と1週間の逆説志向の自主的トレーニングによって、約4年間続いていた発汗恐怖症から解放されたのです。
ケース2「簿記係の手のけいれん」
それまで何ヶ所もの病院で治療を受けてきたのですが全く効果がありませんでした。
簿記係として文字をうまく書けないことは致命傷で、彼女は失職する寸前でした。
彼女は絶望し、担当したフランクルの同僚に「自殺したい」とまで言いました。
ここでも「逆説志向」が効果を発揮します。
この患者を担当したフランクルの同僚は、読みやすい文字を書こうとするのではなく、なぐり書きするように助言します。
「さあ、私がどれほど素晴らしいなぐり書きの名手であるかを見せてやろう」と。
すなわち、できるだけきちんと、読みやすく書こうとするのではなく、できるだけ汚くなぐり書きをするように勧めたのです。
このユーモアに満ちたアドバイスの後、彼女は、文字を書く際に汚くなぐり書きをしようと思えば思うほど、そうできなくなりました。
「私はできるだけ汚くなぐり書きをしようとするのですが、それが簡単にできないんですよ」と言い、その後の観察期間において手のけいれんが再発することはなかったのです。
『意味による癒し』(ヴィクトール・E・フランクル[著]、山田邦男 [監訳] 春秋社)p45
夜、眠ろうとしてもなかなか寝付けない経験を多くの人がもっています。
気になる事が頭を巡り、考えずに眠らなけらばと思えば思うほど、眠れなくなるのです。
眠ろうとする自分に意識が向きすぎる「過剰な自己観察」のために余計に睡眠が遠のいていきます。
そこでフランクルは、眠れない夜は眠ることを諦めるように勧めます。
「今夜はちっとも眠たくない、ひとつ今夜は眠らずに体を休ませながら、色んなことを考えてみようか。この前の休暇の楽しかったことや、つぎの休暇をどう過ごすかなどを」
本来であれば避けたい眠れない状況を、ユーモアをもって自ら望むことによって逆に睡眠を求める過剰な意識が薄れて眠りが訪れるというのです。
こうしてフランクルは「逆説志向」を用いて多くの不安を抱える患者を治療しました。
まとめ
自分が苦しんでいる症状を不安がったり、恐れるのではなく、むしろ、それを「大げさに望んでそうなりたいと願う」ということ自体が、ユーモアに満ちていています。
ところで、どうしてユーモアをもって大げさに望むことが、不安な症状を軽くしたり消したりするのでしょうか。
『神経症1』(V・E・フランクル[著])p161-162
「ユーモア」つまり、「笑う」ことによって、人は自分と症状との間に、心理的な距離をつくりだすことができます。
そうした心の働きをフランクルは「自己距離化(self-detachment)」と呼んでいました。
症状に苦しんでいる時は、不安や恐れで自分にばかり意識が向いてしまっていて自己距離化ができていない状態です。
しかし自分と症状に距離がとれて、客観的に見ることができれば、心の余裕も生まれてきて、症状をやわらげることができます。
こうした心理的作用が、無意識のレベルで自然に行われるとフランクルは言っています。
みなさんも不安や緊張をオリジナルの「ユーモア」で「自己距離化」してみてください!
要注意: 「逆説志向」は万能の心理療法ではありません。現に精神科やメンタルクリニックに通院されている方は、必ず主治医のご判断に従ってください。