認知症との診断をうけても、外見が変わるわけではないし、一か月に一度専門医に診てもらうことをのぞいたら、初期は普通に一緒に生活していても介護しているとう実感はあまりわきません。
本人も今まで通りの生活を続けるし、自分が認知症だという自覚はまったくありません。
しばらくは今まで通りの平穏な日常が続きますが、まだら認知症の症状が見え隠れし始めると、認知症という病魔が確実に進行しているという現実がのしかかってくるのです。
今回は認知症の初期におこる、まだら認知症についてのお話です。

「物忘れ」と「認知障害」との違い



加齢なの? 認知症なの?


加齢による物忘れか、認知症という病気なのか、高齢者と同居する者にとっては非常に大きな分かれ目なります。
体力の衰えや体の痛みといった身体的不自由さをフォローする介護と認知症という病気を抱えた高齢者の介護は全く違うからです。

1.筋肉、関節などの衰えからくる活動レベルの低下や倦怠感はあるが、物忘れはない。
2.筋肉、関節などの衰えからくる活動レベルの低下や倦怠感があり、認知症も患っている。
3.筋肉、関節などの衰えからくる活動レベルの低下はなく、認知症を患っている。


1番は、加齢による物忘れはあっても、時間や曜日、金銭感覚の概念を失うことはないため、身体が思うように動かないことを除けば、自分のことは自分で判断できます。
2番は、脳が委縮して次第に記憶が失われていきますが、身体が思うように動かないため自分の意思を行動に移すことができません。
脳の萎縮により日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態でありながら、身体はしっかりと動く3番の介護が一番つらいものになります。
介護者が体力的にも精神的にも一番手を焼くのはおそらく3番の高齢者でしょう。






私の介護も、始まりは3番から


私の場合は親でしたが、肉体的には何も問題がないので、思いついたこと、やりたいことはすぐに行動や態度に移そうとします。
その思いつきが現実の思考からくる時と、現実ではないところからくるときがでてくるわけです。
例えば、頭の中が20歳代に戻っている時に思いつくと、住んでいる家は今居る現実の家とは違うと判断して、目の前で話していても私のことを娘だとわかっていながら帰るところは自分の実家だと思いこみ、話のタイミングで「そろそろ帰らせてもらいますね」と私に断りを入れて帰ろうとします。
「私は誰ですか?名前を呼んでみて?」と問いかけ「○○○ちゃん、私の子ども」と口にすることができれば、自分に50歳代の娘がいると認知しなおすことができ、そこから今居るところが自分の家である記憶が蘇えり納得します。
一部の記憶が時々欠如して現実の世界と過去の記憶の世界が混ざり合う症状は、認知症発症の初期に見られます。これを「まだら認知症」と言います。
すべての記憶機能が同時に低下するのではなく、認知症の症状が時間によって出たりでなかったりして、記憶の一部が消えたり点いたりまだらに出現することからこう言われています。
まだら認知症は、脳が委縮してる場所によって出てくる症状も異なるので、一般に共通した症状ではなく、認知症状のムラと表現する医師もいます。
私の母は、まだらの症状が出る時はいつも20代に戻るようでした。
フルタイムで務めていた私と夫、学生の娘が昼間留守にしている時に、母が買い物に出て、そこでまだらの症状が出たのか、タクシーで実家に帰ろうとして何度も警察のお世話になりました。
同居していた家からタクシーで2〜30分のところに母の実家はあるのですが、すでに誰も住むことがなく平地なっています。
住所は覚えているので、タクシーの運転手さんはしっかり届けてくださるのですが、いざ着いてみると、そこに家がない!と驚いて、母も説明できずオロオロし始め、やっと認知症の症状かもせれないと警察に届けられるというパターンです。
手を挙げてタクシーを止められれば、一見認知症を抱えているようには見えないので、運転手さんも乗せてしまいますよね。



はてさて、どうするか

まだら認知症がどれぐらいのはやさで進むのかは人によって違いますが、共通するのはこの時期は自覚が乏しい故に健常時と変わらない行動や態度をとるので周りが振り回されてしまいます。
私と夫も、警察署に数回母を迎えに行き事情をきいたものの、認知症からの行動は要領を得ません。
本人もどうしてこうなったかわからない、ただ迷惑をかけたようだ、ということは漠然とわかるだけです。
迎えに行った当日はさすがに落ち込んで「もう出かけたくない」と弱音を口にするのですが、日にちがたつと忘れてまた同じ行動を繰り返します。
母の場合は落ち込むだけでしたが、被介護者が男の方だと、逆切れして暴力をふるうこともあり、身体機能が健全なだけに、介護者が翻弄されて疲れ切ってしまいます。
介護は長期の戦いになりがちです。
この時期まで来たら、24時間が介護時間といっても過言ではありません。
疲れたと感じてもゆっくり休むことがなくなり、あっという間に一日が過ぎていきます。
この段階に来たら、もう一人で1人で介護を抱え込まないようにしてください。

まだ頑張れる、まだできる、と思う余裕があるときに、楽になる手段を講じることが大切です。
楽になることは、決していけないことではありません。
自分がやらなければならない、という義務感を捨てて、行政や民間の介護サービスに助けてもらえるところは積極的に助けてもらいましょう。



まとめ

自覚の乏しいまだら認知症は、介護者、被介護者がお互いにごまかしながら生活を続けることが多いのではないでしょうか。
残念ながらごまかし続けることはできないのです、近い将来認めざるを得ない日は必ずやってきます。
昨日できていたことが今日できなくなってたり、本当に突然目の前に現実を突きつけられます。
少しでもまだら認知症かもしれないと気づいた場合は、身体機能に異常がなくても専門家へ相談するなどして1人で抱え込まないようにしてください。
早期の発見が認知症の進行を緩やかにしてくれることもあります。
今は介護者が精神的にゆとりがもてる便利なサービスや介護用品がたくさんそろっているので、すべてを自分の手でやろうと無理をしないで積極的にフォローを求めてください。
助けてくれる環境が必ずあります。

筆者プロフィール

こらっと

大阪生まれ。団体職員兼ライターです。
平日は年季の入った社会人としてまじめに勤務してます。
早いもので人生を四季に例えたら秋にかかる頃になり、経験値は高めと自負しています。
このブログがいきいき生きる処方へのきっかけになれば幸いです。

お問合せはこちらで受け付けています。
info.koratwish@gmail.com


海外からの人材受け入れ団体職員として働いてます。
遡ると学生時代のアルバイトでアパレルショップの売り子から始まり、社会人となってから広告プロダクションでコピーライターとして働きました。
結婚・出産を経て、印刷会社のグラフィック作業員として入社。
社内異動により⇒画像・写真加工部⇒営業部(営業事務)⇒社内システム管理者と、いろんな部署を渡り歩きましたが、実母の介護のためフルタイムでは身動きが取れなくなり、パート雇用として人材受け入れ団体に時短勤務転職しました。

2019年実母が亡くなり、パートを続ける理由がなくなったため物足りなさを感じる毎日でしたが、年齢の壁など一顧だにせず(笑)再びフルタイムで働きたい!と就活し続けた結果、別の人材受け入れ団体に転職しました。
責任も増えましたが、やりがいも増えました。

デスクワーク経験が長く、Office関係の小ワザや裏ワザ、社会人としての経験を共有できれば幸いです。

家族構成は夫がひとり、子どもがひとり
キジ猫のオス、サバ猫のメスの5人家族です。

趣味は、読書、語学学習、ホームページ制作などなど
好奇心が芽生えたら、とにかく行動、なんでもやってみます。

猫のフォルムがとにかく大好きで、
神が創造した生物の中で一番の傑作だと思ってます。
ちなみに「こらっと(korat)」は
タイ王国のコラット地方を起源とする
幸福と繁栄をもたらす猫の総称です。




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似顔絵は、「似顔絵メーカー」で作成しました。